きっかけ
人がなにかをする時は、きっかけ(契機)があるものだ。
「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」という言葉を知っている方があるだろうが、これはアメリカの哲学者であり心理学者のウィリアム・ジェームズ氏の言葉である。
意識の流れの理論を提唱した人物で、「笑う」という行動が「楽しい」という感情のきっかけになるとした。
この言葉はよく、辛くても笑っていようとか、そんなふうに人を励ます時に、「笑う角には福来る」みたいな印象で使われることが多いが、私にとってはそうではない。
行動が感情に先立つくらいなんだから、きっかけはなんだっていい。そうしたいのにきっかけがないなら、行動からでも構わない。
そんな風に私はこの言葉を大切にしている。
彼はまた「行動するきっかけを逃すな」とも言っている。
きっかけは些細なことで構わず、そして些細なことだからこそ、逃してしまわないように。
私がふと思い立って始めたこのnoteも、きっかけがあった。
叔母が家族について書いたnoteを読んだのだ。
そこには彼女の追憶が、綺麗な言葉で、丁寧に、しかし時に歌うように書かれていた。
羨ましいと思った。
私も書きたい。感情や記憶を言葉で整理して、ネットの海に供養したいと思った。
だからこうして今、拙いながらも書いている。
マトリョーシカみたいで申し訳ないが、実は叔母のnoteも、家族の「きっかけ」の話が書かれていた。
返しの歌じゃないけど、叔母はこのnoteを見ていないけど、ちょっと感想みたいなものを次回に書こうかなと思う。
本当は以下にあるんだけど、ここにあるとこの記事が超長くなって、私ですら読み直したくなくなるので、切り離しますね。
コピーアンドペーストっ…
そういえば、この前歩いていたら、金木犀の匂いがしてきた。
「秋だから」なんて、毎年やってくる季節を理由に勉強や読書やに励む日本人は、きっかけを逃さない優秀な民族だなあ。
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