宗教3世に生まれてしまった話。
私は政党を持つ、某宗教団体の3世に生まれました。
11歳くらいの時にブチギレて家族巻き込んで脱会しています。
この記事ではその思い出を書いていこうと思います。
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約60年前、祖母が親戚から勧めで学会に入信したのが始まり。
当時、祖父母は九州から仕事を求めて上京したばかり。
慣れない土地での生活&子供の死など苦労が重なっていたため、
宗教は彼女の救いになっていたようです。
そして宗教全体がそうであるように、
祖父母以降の親族は、生まれた瞬間に自動入会。
私は3歳くらいから簡単な経文を読んだりさせられていたと記憶しています。
保育園児くらいの頃は何も理解していないので、
「神社とかお寺に行くみたいな、日本の伝統」くらいの感覚でした。
親や学会員達は、子供に「勤行を唱える」ことを習慣づけさせるため、
以下のようなことを良く言ってたのを覚えています。
「勤行をするとこんな素晴らしいことがある」
「毎日勤行してるから、不運な事故を回避して生き残ることができた人もいる」
「あなたは生まれた時から創価学会員だから幸せだ」
純真なタイプの子達はこれで洗脳されてしまうのだろうか。🤔
私は大人の言うことを聞かないタイプの幼女だったので
「んな訳ないがなw
どうせ大人が子供に言うこと聞かせるために使う嘘でしょw」
っと信じてなかったです。
まさか大人が本気でそんな話を信じてるとは、、、。
全然信仰していなかったので、子供ながらに信者の言動にはモヤモヤすることもありました。
当時はそのモヤモヤを言語化できなかったけど、
今思い返すると下記のように思っていました
●毎日呪文を唱えさせられる
→口から音を出しただけで願いが叶う訳ないじゃん。
●平日夜などに他人のアパートに連れて行かれて、呪文を唱えさせられる。
→わざわざ集まってやる意味は?
●休みの日に大きな会館に連れてかれる。大人はみんな並んで、おじいさんの写真に向かって呪文を唱えている。
→母に「このお爺さんのお葬式をしてるのか?」時いたら、まだ生きてるとのこと。
なんで生きてる人間に祈ってるの?どんな人でも対等な同じ人間なのに?
そもそも宗教って神様とかを信仰するものじゃないの?
●幸福になりたくてみんな宗教をやってるのだろうけど、集まってる人たちは貧乏だったり家庭問題抱えてるし、幸せそうに見えない。もちろんウチも。
→効果ないじゃん。
何のために、何をさせられているのか理解不能。
無意味なことさせられて、つまんないしめんどくさいな〜〜😩
でもこういうものなのかな。皆そうなんだろうな。
この人生しかやったことないからよく分からん。
と思いつつ、促されるまま行っていました。
(子供なので、1分唱えて、その他は施設内の階段で遊び狂っていたくらいですが)
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そんな日常が続いていたある日、
宗教団体が起こした事件が連日TVで報道されるようになりました。
オウム真理教の地下鉄サリン事件。
当時、小学低学年でしたが、深刻な様子や恐ろしさはニュースを見て理解していました。
同時に「カルト宗教」と言うものがある事もそれらの報道で知りました。
そして自分が所属している宗教についても意識をするようになります。
「親達が集まって、まだ生きている人間の写真に向かって首を垂れて祈りを捧げている、よく見た風景は、これとそっくりじゃないか」と。
今までのモヤモヤが疑念に変わって行きました。
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徐々に集会には行かないようになりました。
(年齢があがって、親と別行動できるようになったのもあります)
日々の勤行もサボってました。
毎週家までやってきて、勤行の大切さを説いていく少年部のお姉さんがいたのですが、
居留守を使って会わないようにしました。
お姉さんは凄く柔和で、優しい人だけど
「一見優しそうなのに目が怖い。不気味。この人と話したくない。」と感じていましたためです。
「信仰していれば救われる」と科学的根拠のないことを、
盲信している姿がシンプルに怖かった。
自分の考えに誘導するように会話を誘導していることも何となく気づいていたし、
「違うと思う」と言えない感じも不快だった。
宗教に限らず、何かを信仰している人は、
基本的に"親切でいい人"が多いと思います。
同時に、自分の考えが絶対正しくて、
意見の違う者は間違えている。
"教育"して"考えを改めさせるべき" という人も多いと感じている。
異なる意見に耳を傾ける気がそもそもない人に何を言っても無駄だから
関わりたくないと思ってます。
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学会と距離をとりつつ、11歳くらいになった頃、
「信教の自由」という思想があると知りました。
「信仰は自由なのに、私は勝手に信じてないものに入れられてるんだが!?」
そう気づいてしまってからは、疑念が怒りに。
私は創価学会に入りたいなんて言ってない!
勝手に入れられた!
そもそも神も仏も信じてない!
信教の自由を侵害された!
自分のことは自分で決める!!
母に今すぐ脱会するようにブチギレ要求。
それを見ていた兄弟達も「私も、俺も」と主張を始め、
母は黙っていました。
数日後、
「お母さんも辞めるって言って辞めてきたわ!」と事後報告されました。
母も2世。自ら入信したわけじゃないし熱心に活動していたわけではないけど、
一緒に退会しててびっくりでした。
「いや、あんた信じてたから活動してたんちゃうん??😂」と
(聞いてないけど、ちょうど離婚や病気、家族不和、貧困などの問題も抱えていたので、信仰してても幸福ではないことに疑問を持ったのかなぁと思います。)
そしてさらに数日後、学校から帰ると
母が電ノコで、仏壇を切断してるところに遭遇。
粗大ゴミだと高くつくから、解体して燃えるゴミで出すとのこと。
(仏壇がバラバラにされるの初めてみた)
兎にも角にも、
これで家族全員脱会。
私は晴れて「無宗教」となれた感じです✨
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1世の祖母は今でも熱心に信仰しています。
家族写真は飾らないのに、池○先生のカレンダーや写真は飾ってる。
身内に受験成功など吉報があるたびに
「あんたは生まれた時から信仰していたからだ」と言う。
本人の努力や才能ではなく、手柄を全部宗教に持っていくスタンスはモヤります。
これは学会の独特なマインドなのか?他もそんなもんなのか?🤔
高齢者の信仰を奪うのは、心身のバランス健康のことを考えるとよくないと思っています。
交友関係も学会の人ばかりのようだし、活動を続けることは孤独&認知症予防にも良いと思うので続けていただきたい。
宗教も、他人に共用せず、本人の心の支えになっているのであれば
良いのではと思います。☺️
娘家族全員、脱会してるとは知らせていません。
嘘をついていることに後ろめたさもありつつ、
高齢の祖母が無駄にショックを与える必要なし、
面倒なことになると思うので。
このまま告げることはないでしょう。
あと祖父の葬儀も学会式だったのが印象的だった。
これについてはまた別途書いていきたいです。
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私が洗脳にもかからず、
声をあげて家族ごと脱会させることができたのは、
「我が強すぎる性格」だったからかもしれない。
人の話をちゃんと聞いて、純粋で、疑わなず、争わず、受動的で、言いつけを守り、
戦って自分で未来を勝ち取るとより、運命の方が変わるのをじっと待つ、
"良い子"だったら今も脱会してなかったかもしれない。
でも「いい子」じゃなかったから疑ってかかった。反発できた。
「自分で人生変えた」とうい成功体験だと思っています。
与えられた情報を「疑う」ことは必要だと実感しています。
疑うことは信じることでもある。
疑って疑って、調べて、確認して、
それでもこれは正しい思えたら、信じられると言うこと。
疑いもせず、キラキラとコーティングされた言葉を真に受け流のは「信じる」ではなく「盲信」だと思う。
自分の頭で考え、
自分のことは自分で決める。
その結果は自己責任。
そうするから「自己効力感」を持っていられ、幸福感をもてるのだと思う。
一生通して持っていたい教訓を得ました。
まとまりなく長くなりましたが、何が言いたいかというと
こどもを勝手に会員登録するのは良くない。
そして、とりあえず、私と宗教は相性が悪かった。
以上、備忘録でした。