イイシラセ【『太陽の法』存在と時間】(2024/03/26)
「生々流転(しょうじょうるてん)の法則」から
変転するこの世のものと、変化の中にあって流転しない「なにか」の存在について解き明かされます。
この節は六ページほどの短い文章のなかで、この世とあの世を貫く秘密のベースが説かれています。
「存在は、変転の時間を内容しているのだ」という視点は驚きです。日常で時間をどのように感じるでしょうか? それは空間のように自分をつつみこむ世界の属性としてあり、自由に変更することが困難なものとして認識してはいないでしょうか。
ここでは「時間を内包している」と説明されます。時間に自分が包まれているのではなく、自分の中に時間が内包されているイメージを持つことができます。
私の印象ですが、時間はそれぞれの存在が固有の時間を持っていると理解できます。私の時間、あなたの時間、鳥の時間、魚の時間、そして地球の時間、太陽の時間のように、それぞれの存在別に時間はある。
地上では私たちは便宜的に地球の自転をサイクルとして生活をしていますしそれを「共通時間」としています。ただより本質的には時間は個別に存在している、ということでしょうか。
アインシュタインの相対性原理では、慣性系別に時間の速度が異なると説明されます。そのさらに延長にある世界観、時間観がここには記されているように思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?