文字盤を使ってダウジングをしたら、友人に成りすました低級霊(浮遊霊)と接触してしまった私。
「では、なぜ私がそのことに気付いたのか」というのが今回のお話です。
後半の有料部分には、実際に行ったダウジングの様子や霊界からの警告と思われる写真が載せてあります。
記事自体は無料で全文読めますので、特に資料を見る必要はないよという方は、ぜひ無料部分だけお読み頂ければ幸いです!
朝起きたら割れていたレンズ
こうしてほぼ毎日ダウジングをしていた、ある日の朝のこと。
チェストの上にただ置いてあっただけの虫メガネのレンズが、激しく割れて欠片が床に飛び散っているのを見つけました。
レンズは一番厚い部分は約1cmくらいはあり、それが誰も触っていないのに、一晩のうちに不可解な割れ方をしていたのです。
(実物写真は末尾の有料記事部分に載せてあります)
割れたレンズは、一刻も早くダウジングを止めるようにとの霊界からの警告だったのかもしれません。
それでも私は、ペンデュラムを持つことを止められませんでした。
答えを聞くのも怖い、でも聞かずにはいられない……
今思えば、そんな風にメンタルが不安定な状態でダウジングをするのはかなり危険だったかもしれません。
この通信の相手は友人ではない、と感じた理由
そしてこの日のダウジングから、ペンデュラムの動きに微妙な違いが見られるようになりました。
今までと同じような文字の示し方はしているものの、時々私が「あれ?」と思うようなネガティブな言葉が混ざるようになってきたのです。
例えば、(レンズが割れたことを指して)「ヤバイ状況の警告」とか、
「夕貴さんも死ぬよ…(と示したその後すぐに「…り怖いことを片づけておいた方がいいよ」と続けてごまかした感じ)」など。
もしも誰かが亡くなるお知らせなら、むしろ天国へ帰還するという恩寵みたいなことですから、指導霊サイドからは「ヤバイ警告」なんて言葉は絶対に出ないはずです。
また、「夕貴さんも死ぬよ」と示して怖がらせようとしたのかもしれませんが、
そのペンデュラムの動きを見ながら、私の頭は(へー死ぬの?私。なら良かった、早くあちらに行けるなら)と考えていたため、怖がらないことに気付いて文言を変えてきたのだと思います。
その後も何日かはダウジングをしましたが、相手が私の思考を読むことに長けていたためか、ごく普通の友達同士が会話するようなやり取りがしばらくの間続きました。
ただ、指導霊(自称)というより明らかに友達っぽいノリだな~と感じて、この相手はもしかしたら彼ではないのでは?と薄々ながら私も気が付き始めました。
通信の内容に違和感を感じたので、こちらから仕掛けてみた
そんな風に友達ノリで楽しくやり取りが弾む時もあれば、不安がらせるようなネガティブな言葉で煽ってくることもあったのですが、
次第に通信の内容がだんだん大げさになってきて、つじつまが合わなくなってきました。
そういう時はやっぱり違和感を感じます。
通信を取りながら「おかしいぞ」と思ったのでわざとネガティブな質問を振ってみたら、逆に相手の方がそれに合わせて乗って来ました。
私が(わざと)聞いたネガティブな質問に食いつき、簡単に尻尾を出したのでちょっとびっくりしましたが、低級霊がいる幽界というのは「ある意味、単純明快な波動の世界」なのかもしれません。
つまり、騙そうという想念だけで回っているので、こちらが引っ掛け問題を出しても不思議に思われなかったというか……。
ただ、私の中にこうしたスピリットが付け入る隙があったから干渉を許してしまったのであって、反省すべきは私の方だと思います。
彼を亡くした喪失感と後悔でずっと浮上できずにいたので、そこに隙が生まれてしまったのかもしれません。
それにしても、この一件では「低級霊もまだまだ人間臭い部分があるんだな」と、ある意味良い教訓にはなりました。
霊といっても元は人間、普通に生きていた時と性格傾向に何ら違いはありません。今回の低級霊も、ただ寂しいだけの「構って欲しい若い子の霊」だったのかなという気もします。
アラン・カルデックの「霊媒の書」の一節より
とはいえ、肉体を失くして幽界に留まったままの存在とコンタクトを取り続けることは、とても危険な行為です。
たとえ相手に特別悪意がある訳ではなかったとしても、霊がこちらのオーラ(生体的な磁力)に絡めとられ、互いに一体化してしまう可能性もあるからです。
もちろん悪意や明確な意図を持ってこちらのオーラに侵入してくる霊(憑依)もあります。
以下に「一般的な憑依の三つの段階」を引用しておこうと思います。
(※ただし、それをもって「あの人は憑依されている」などと勝手な憶測をしたりせず、あくまでもそれを防ぐための知識としてご活用ください)
幽界(下位のアストラル界)は地上と重なっている
人間が亡くなると、まずは肉体を脱ぎ捨てて幽界に移行するのが一般的だと言われています。
幽界はこの地上と重なっている(正確には波動が近い)ため、亡くなった霊の側からは「生きている私たちの姿」が見えるようです。
俗にいう幽霊は、肉体を脱ぎ捨てて魂となった霊が、地上近くのこの幽界(下位のアストラル界)に留まってしまった姿を指しています。
幽界は想念の世界なので、「思いの中にある波動」が環境に反映されてしまいます。
だからネガティブな思いを抱いて亡くなった場合、その思いに囚われたままでいると、目の前に現れる世界もそれと同じになってしまうのです。
逆を言えば、
地上と幽界が重なっているということは、「地上にいる私たちの思いが幽界にも反映される」ということでもあるのでしょう。
上の引用で私が太字にした部分に、「自分自身の心で創り出している否定的な想念の波動で、恐怖や怒り、悲しみや絶望に満ちた世界を現象化してしまう」とありますが、
この「現象化してしまう」世界をネガティブな世界にしないためにも、低級霊や悪霊などに意識をフォーカスしてむやみに怖がったりせず、あちらの世界に悪しき想念という栄養を与えないことが大切だと思います。
なので、今回のこともあくまで淡々と受け流した方がいいなと思いました。
(もちろん、危険なので真似はしないで頂きたい点は強調しておきますが)
地上にいる私たちの放つ想念が、明るく前向きなものであればあるほど、幽界にもどんどんクリアな美しい波動が満ちていくはずです。
そうすることで、幽界という場所(想念の溜まり場)自体がだんだん小さくなっていき、やがては地球のエネルギーも良い状態に変化していくのでは、と私は本気で思っています。
(その辺りは、また追々このシリーズで書いていきたいと思います)
――ということで、今回はこれにて終了です。
よろしければ有料部分にある資料もぜひ、ご覧頂ければ幸いです。