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亡き友人に逢いたくてダウジングをしたら低級霊に遭ってしまった話:後編

文字盤を使ってダウジングをしたら、友人に成りすました低級霊(浮遊霊)と接触してしまった私。
「では、なぜ私がそのことに気付いたのか」というのが今回のお話です。

後半の有料部分には、実際に行ったダウジングの様子や霊界からの警告と思われる写真が載せてあります。

記事自体は無料で全文読めますので、特に資料を見る必要はないよという方は、ぜひ無料部分だけお読み頂ければ幸いです!


このお話は前回からの続きです。
亡き友人に逢いたくてダウジングをしたら低級霊に遭ってしまった話:前編

※シンクロニシティ・ストーリーズ(その1)はこちら。
シンクロニシティに導かれた「人生の転機」①【お茶会編】

朝起きたら割れていたレンズ


こうしてほぼ毎日ダウジングをしていた、ある日の朝のこと。
チェストの上にただ置いてあっただけの虫メガネのレンズが、激しく割れて欠片が床に飛び散っているのを見つけました。

レンズは一番厚い部分は約1cmくらいはあり、それが誰も触っていないのに、一晩のうちに不可解な割れ方をしていたのです。
(実物写真は末尾の有料記事部分に載せてあります)


割れたレンズは、一刻も早くダウジングを止めるようにとの霊界からの警告だったのかもしれません。

それでも私は、ペンデュラムを持つことを止められませんでした。
答えを聞くのも怖い、でも聞かずにはいられない……
今思えば、そんな風にメンタルが不安定な状態でダウジングをするのはかなり危険だったかもしれません。

この通信の相手は友人ではない、と感じた理由


そしてこの日のダウジングから、ペンデュラムの動きに微妙な違いが見られるようになりました。
今までと同じような文字の示し方はしているものの、時々私が「あれ?」と思うようなネガティブな言葉が混ざるようになってきたのです。

例えば、(レンズが割れたことを指して)「ヤバイ状況の警告」とか、
「夕貴さんも死ぬよ…(と示したその後すぐに「…り怖いことを片づけておいた方がいいよ」と続けてごまかした感じ)」など。


もしも誰かが亡くなるお知らせなら、むしろ天国へ帰還するという恩寵みたいなことですから、指導霊サイドからは「ヤバイ警告」なんて言葉は絶対に出ないはずです。

また、「夕貴さんも死ぬよ」と示して怖がらせようとしたのかもしれませんが、
そのペンデュラムの動きを見ながら、私の頭は(へー死ぬの?私。なら良かった、早くあちらに行けるなら)と考えていたため、怖がらないことに気付いて文言を変えてきたのだと思います。



その後も何日かはダウジングをしましたが、相手が私の思考を読むことに長けていたためか、ごく普通の友達同士が会話するようなやり取りがしばらくの間続きました。
ただ、指導霊(自称)というより明らかに友達っぽいノリだな~と感じて、この相手はもしかしたら彼ではないのでは?と薄々ながら私も気が付き始めました。

「こんなに何でも答えてくれてるけど、レッスンのお題として答えてもらえることになっているの?」
――そうだよ 瑛人も楽しんでるよ チャットしてた時みたいな感じだからね
「息子が私に勧めてくれる映画とかアニメがすごく霊界のことを描いてるっぽいんだけど、(中略)シュタゲとかまどマギとか、HACHIとか、あと一つ思い出せないけど(名前教えて)」
――息子がネットで見つけるように仕向けてるよ 夕貴さんへのサインだよ あの映画の名前はヤングマンだよ
「ヤングマン?(調べて)――ちょっと違うみたい。何とかマンだったような気もするけど」
――本当はマスクマンだよ、冗談だよ
「うーんちょっと惜しいな。えーとねー…街ぐるみで一人の青年を監視して育てて、自分のせいでお父さんが亡くなったと思ってたら実は生きてて、恋人も街の人もみんなグルで監視してたって映画。ちょっと難しいかな(※実際は「トゥルーマン・ショー」という映画)」
――早とちりしたな、もう分からない 降参だよ
「指導霊でも自分が見てない映画はやっぱり分からないの?」
――指導霊でも何でも分かる訳じゃないよ 夕貴さん自身のことだけだよ
「でもありがとう、私も色々頑張るからよろしくね、守ってね」
――それまでに対策考えておこう グッジョブ
「それちょっと意味わかんない」
――ちょっと苦しかった わらわらわら

通信の内容に違和感を感じたので、こちらから仕掛けてみた


そんな風に友達ノリで楽しくやり取りが弾む時もあれば、不安がらせるようなネガティブな言葉で煽ってくることもあったのですが、
次第に通信の内容がだんだん大げさになってきて、つじつまが合わなくなってきました。

そういう時はやっぱり違和感を感じます。
通信を取りながら「おかしいぞ」と思ったのでわざとネガティブな質問を振ってみたら、逆に相手の方がそれに合わせて乗って来ました。


――〇〇を夕貴さんが大切にしなかったカルマだよ 下手に関わらない方がいいよ
「じゃあもう絶望しかないの?」(意図的ネガティブ)
――もう絶望しかないよ
「私がミディアムになんて所詮なれなかったのかな」(意図的ネガティブ)
――夕貴さんにはそんな力はないよ
「瑛人くんが私と通信を取ろうとしたのはどうして?」
――取りたくて取ったんじゃないよ 仕方なくだよ 夕貴さんが粘着するから仕方なくだよ
「そう、じゃあもう残念だけどこれで終わりにするね 最後に私にメッセージください」
――最後まで面倒かけるなあ 粘着やめてよ


私が(わざと)聞いたネガティブな質問に食いつき、簡単に尻尾を出したのでちょっとびっくりしましたが、低級霊がいる幽界というのは「ある意味、単純明快な波動の世界」なのかもしれません。

つまり、騙そうという想念だけで回っているので、こちらが引っ掛け問題を出しても不思議に思われなかったというか……。


ただ、私の中にこうしたスピリットが付け入る隙があったから干渉を許してしまったのであって、反省すべきは私の方だと思います。
彼を亡くした喪失感と後悔でずっと浮上できずにいたので、そこに隙が生まれてしまったのかもしれません。



それにしても、この一件では「低級霊もまだまだ人間臭い部分があるんだな」と、ある意味良い教訓にはなりました。
霊といっても元は人間、普通に生きていた時と性格傾向に何ら違いはありません。今回の低級霊も、ただ寂しいだけの「構って欲しい若い子の霊」だったのかなという気もします。

※こちらは以前書いた記事です。参考までに。
人間のエゴと、迷えるスピリットとの関係性のお話。

アラン・カルデックの「霊媒の書」の一節より

――(中略)低級霊が道を誤らせるような内容の通信を送ってくる時に聖人の名を騙るのをなぜ高級霊は許すのでしょうか。

「別に許しているわけではありません。地上と同じで、そういう騙しの行為をした霊は罰せられます。それは確かです。そしてまた、その騙しの悪辣さに応じて罰が酷しくなることも確かです。
(中略)
そういう事態が生じるのは、一つには天の配剤としての試練であり、また一つには真実と虚偽との見分けが必要であることを教えることによって啓発するためでもあります。(※)それでも啓発されなかったら、それはあなた方の霊性が十分に進化していない証拠であり、まだまだ失敗による教訓を必要としていることを物語っています。」(太字は夕貴注※)

「霊媒の書」アラン・カルデック(編)近藤千雄(訳)/スピリチュアリズム・ブックス



とはいえ、肉体を失くして幽界に留まったままの存在とコンタクトを取り続けることは、とても危険な行為です。
たとえ相手に特別悪意がある訳ではなかったとしても、霊がこちらのオーラ(生体的な磁力)に絡めとられ、互いに一体化してしまう可能性もあるからです。

もちろん悪意や明確な意図を持ってこちらのオーラに侵入してくる霊(憑依)もあります。
以下に「一般的な憑依の三つの段階」を引用しておこうと思います。
(※ただし、それをもって「あの人は憑依されている」などと勝手な憶測をしたりせず、あくまでもそれを防ぐための知識としてご活用ください)


これと違って低級霊が悪意をもって取り憑く場合は、いったん目をつけたらしつこく付きまとい、子供を扱うように手玉に取る。そして当人だけでなく、その親族にまで迷惑を及ぼす。

“憑依”というのは概括的な用語で、そのメカニズムと、憑依された人間に表れる霊障によって、三つのタイプに分けられる。まず“付きまとわれる”だけの場合。次が“幻惑される”場合。そして“取り憑かれる”場合である。詳しく解説しよう。


(一)しつこく付きまとわれる

(中略)どんなに優秀な霊媒でも低級霊につけ入られて、愚劣きわまる通信を受けたり霊言を述べたりする。この事実から想像がつくように、霊媒や霊能者は常に低級霊や邪霊につけねらわれていると思ってよい。が、その段階ではまだ憑依ではない。かりに波動が合って通信状態に入っても、それは一時的であって、すぐに縁は切れる。いくら用心していても正直な人間ほど人に騙されることがあるのと同じである。また霊団側でも一つの警告として体験させることすらある。これには実害はない。(中略)

(二)幻惑される

(一)のようにしつこく付きまとって、日常生活に支障を来す程度のものに“幻惑”が加わると、さらに深刻となる。邪霊が思念そのものに直接的に働きかけて幻想を生じさせ、正邪・善悪の判断力をマヒさせるのである。

たとえば自分は神の化身であると思い込ませ、それらしき勿体ぶった態度でご託宣を述べさせる。誰が聞いても滑稽きわまる内容なのであるが、その辺の判断力がマヒしているから、本人はみじんもおかしいとは思わずに大まじめで大言壮語をする。

こうしたケースは無知で無学の者にかぎられると思うのは大間違いである。知的職業に携わる者でも、安直に霊能開発などを始めると、こういう醜態をさらす。(中略)

(一)の段階と(二)の段階は容易に見分けがつく。それはそのまま低級霊の種類の違いでもある。

(一)の段階では“しつこく付きまとわれる”という点が厄介なだけで、本人もその状態を客観的に見つめることができる。そして、こんなことではいけないと判断すれば、危険から逃れることは可能である。

が、人間には見栄がある。異常なことが起きることから自分が特殊な人間であるかに思い始めると、次第に(二)の段階へと移行する。憑依霊の方も狡猾で手練手管に富んでいるから、巧みに思考活動にまで入り込んで、“慈悲心”だの“人類救済”だの“神の愛”といった美辞麗句を吹き込む。当人はすでに魅入られているから、救世主にでもなったかのような錯覚に陥って、大まじめにそれらしいことを口にする。

この際、低級霊にとっていちばん困るのは洞察力に富んだ立会人(司会者・さにわ)が存在することで、自分の画策が見抜かれ、当人が説諭されて理性を取り戻すことを恐れる。そこで自分たちがこしらえた“お告げ”の矛盾に気づかれないようにと知恵を絞る。が、全体としての低劣さ、歯の浮くようなキザな表現は覆うべくもない。

(三)憑依される

最終段階には当人の自由意志は完全にマヒし、人格全体が憑依されてしまう。ただし、この憑依状態にも精神的と肉体的の二種類がある。

精神が憑依されていく場合は、支離滅裂な行為をしながら、それを正常で立派な行為と思っている。(二)の幻惑状態の一種であるが、異なるのは、思考活動だけでなく自由意志まで奪われていることである。

肉体的に憑依されている場合は肉体器官そのものも支配されて、不随意筋まで自由に操られるようになる。メカニズム的には自動書記や霊言現象と同じであるが、憑依している霊の霊格と動機が異なる。

自動書記や霊言の場合は、終了すれば霊は去り、霊媒の人格は通常に戻る。が、邪霊による憑依の場合は、書くもの(ペンやエンピツなど)も持たずに通路上とかドアとか壁に書く仕草を延々と続けるようになる。

(太字は夕貴注※)
「霊媒の書」アラン・カルデック(編)近藤千雄(訳)/スピリチュアリズム・ブックス

幽界(下位のアストラル界)は地上と重なっている


人間が亡くなると、まずは肉体を脱ぎ捨てて幽界に移行するのが一般的だと言われています。
幽界はこの地上と重なっている(正確には波動が近い)ため、亡くなった霊の側からは「生きている私たちの姿」が見えるようです。

俗にいう幽霊は、肉体を脱ぎ捨てて魂となったスピリットが、地上近くのこの幽界(下位のアストラル界)に留まってしまった姿を指しています。


幽界は想念の世界なので、「思いの中にある波動」が環境に反映されてしまいます。
だからネガティブな思いを抱いて亡くなった場合、その思いに囚われたままでいると、目の前に現れる世界もそれと同じになってしまうのです。


憎しみを持っている人の場合には、その人が憎しみを手放さない限り、憎んでいる相手が姿を採って自分の前に現れてきますし、何かに襲われることを恐れている人は、その恐怖心から自由に成らない限り、いつ何処からともなく襲ってくる相手に怯えて、逃げ回り続けなければなりません。
このように自分自身の心で創り出している否定的な想念の波動で、恐怖や怒り、悲しみや絶望に満ちた世界を現象化してしまうことを、様々な宗教では地獄として描いていますが、このような迷いの状況から抜け出すためには、周囲の環境を造り出しているのが自分自身の心であることに気付き、それが変わること、ただそれだけが絶対的に必要です。

(太字は夕貴注※)
【新版】「黎明」上巻/葦原瑞穂(著)太陽出版


逆を言えば、
地上と幽界が重なっているということは、「地上にいる私たちの思いが幽界にも反映される」ということでもあるのでしょう。


上の引用で私が太字にした部分に、「自分自身の心で創り出している否定的な想念の波動で、恐怖や怒り、悲しみや絶望に満ちた世界を現象化してしまう」とありますが、
この「現象化してしまう」世界をネガティブな世界にしないためにも、低級霊や悪霊などに意識をフォーカスしてむやみに怖がったりせず、あちらの世界に悪しき想念という栄養を与えないことが大切だと思います。

なので、今回のこともあくまで淡々と受け流した方がいいなと思いました。
(もちろん、危険なので真似はしないで頂きたい点は強調しておきますが)



地上にいる私たちの放つ想念が、明るく前向きなものであればあるほど、幽界にもどんどんクリアな美しい波動が満ちていくはずです。

そうすることで、幽界という場所(想念の溜まり場)自体がだんだん小さくなっていき、やがては地球のエネルギーも良い状態に変化していくのでは、と私は本気で思っています。


(その辺りは、また追々このシリーズで書いていきたいと思います)



――ということで、今回はこれにて終了です。
よろしければ有料部分にある資料もぜひ、ご覧頂ければ幸いです。

【有料部分に掲載してあるもの】

1.ダウジングの実際の様子(動画/1分52秒)
2.朝起きたら不可解な割れ方をしていた虫メガネのレンズ(写真)
3.ヒーリング時とダウジング時の私のエネルギーの変化(オーラ写真生体データ)

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