「聲の形」における川井の存在理由
私はどこにでもいる大学2回生。
理工学部で電子工学っぽいなにかを学んでいるがその実、何を学んでいるのかよく分かっていない。
アゴ髭をたくわえた教授は無責任に式を変形するし、白衣の助教授は早口で半分は聞き取れない。
微分方程式はビブンホウテイシキで、ラプラスは絶対零度を使わずカイロ方程式を解き、非常勤講師はいつも通り目が泳いでいて、ネイティブのイギリス人は思想とも雑談とも取れる謎の話題を展開する。
水曜の実験だけはサボれない普通の大学生。
そして普通の大学2回生は全員暇である。
入学した時ほどの刺激も薄れ、レポートや課題の手抜きも上達する。バイトと、たまの飲み会以外の時間はほぼ暇。
いつも通り帰宅し、たいして興味のない映画をネットフリクスで惰性的に見ようとランダム再生ボタンを押した。
それが私と「聲の形」、ひいては「川井」という人物との出会いになる。
聴覚障害のせいで小学生時代いじめにあった西宮の苦悩と、その加害者である石田の罪滅ぼしから始まり、そこから発展する友情や恋愛、人間模様などが描かれている。
感想としては次の1行に限る。
「これリアルすぎて、もはやノンフィクションだろ」
と。
キャラクターの感情原理が現実の人間にかなり近く、見ているこっちとしは本当にいじめの現場を傍観するクラスメイトになった気分になる。
(ハンターハンターでピトーが作った円に入ったような感覚に近い。)
そして最も人間臭いのが「川井」である。
クラスでの西宮へのいじめが発覚し、”無関心” と ”自責精神の欠如” で心が構成されるたちの悪いニートのような担任による犯人探しが始まると、加害者グループの面々が中心人物であった石田を盾にして自分を守る。
処刑人を説得するような勢いで石田が弁明を続け、助けてくれと言わんばかりにこう叫ぶ
「女子なんか全員悪口言ってたじゃん!」
待ってましたと言わんばかりに震える声で泣く川井である。
「ひどいよ石田くん。私、西宮さんの悪口なんか言わないよ…」
クラスの端々から緊張とも安堵とも取れるざわつきに混じって「泣かした〜」というヒソヒソしたやまびこがこだますると、これが公開処刑の完了を意味していることは、半分寝ながら見てる私でも分かった。
石田はクラスから孤立することになる。
そう、映画「聲の形」における川井の役割の一つが処刑人である。
端っこに年組み番号と名前を書き込みんだ「自己愛」というラベルを貼り付けた大きな鎌で、薪割りみたいに他人をぶった斬る。
石田は成長し、罪を償うために様々な贖罪を試みるが、あと一歩のところで処刑人の一発がカウンターになり、ようやく登った崖から落っことされる様には感情移入せずにはいられない。この時はもう目をギンギンにして画面に食らいついていた。
加害者側にも被害者側にも立つ。助けたり助けなかったりする。
基準は自分が嫌われないようにするためにはどうすればいいか。
そして川井本人はおそらく無意識にそれをやっており、「自分のポジション獲得を最優先する」という己の深層心理には気づいていない。
ここからが本題なのだが、この川井という人物、非常に私に似ている。
日曜の昼下がりにスタバでmacを広げ、3分の1くらい残すためにグランデサイズにした抹茶フラペチーノを脇に置いてネットに駄文を投稿する大学生。
捻くれてはいるが、一定の社会性を持ち合わせているので、バランスを見ながら所属したいコミュニティを選択してのらりくらりと生きている。
所属するグループのどこかでトラブルが発生しようものなら、ニュースキャスターのような表情で時間を稼ぎ、意見を求められればコメンテーターさながらの毒にも薬にもならない持論っぽい一般論で乗り切る。
いかに自分が嫌われずに過ごせるか、というゲーム自体はそれなりに楽しいし、攻略も上手い方だと思うのだが、この生き方がどこかの誰かから圧倒的に嫌われているような複雑な感覚がある。
愛の反対は無関心というが、私は友人や恋人との関わりをゲームとして捉える節があり、真剣さに欠けると捉えるなら、攻略方法は異なるが、プレイしてるゲーム自体は川井のそれと大差ないなと思った。
「野ブタをプロデュース」の修二みたいな生き方はあんまり好きじゃない。
明日電子回路の期末なので誰か過去問見せてくれ。
もしくは誰か私を論破して安心させてくれ。
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