この世界であなた以外の全員がロボットだという仮説を否定することはできない
マトリックスという映画がある。
ある日突然、主人公ネオは見知らぬ男モーフィアスから「この世界は現実ではなくコンピュータが再現したシミュレーションだ」と告げられ現実世界で目覚める。本当の人類は現実の世界でカプセル睡眠状態にあり、コンピュータによって管理・支配されていて、その支配を破る救世主になるべくコンピュータと戦う、という内容である。
活字に起こすと多少手の込んだアンパンマンくらいの情報密度になってしまうので是非ネットフリクスで試聴してほしい。
マトリックスは映画上の作り話だが、現実のこの世界も実際には仮想現実なのではないだろうかという仮説が、俗にいう「シミュレーション仮説」である。
しかしこの仮説、小難しくてピンとこない。
なぜならイメージがつかなさすぎて、全く自分の人生に関係なさそうだから。
仮にシミュレーションだったとしても、私の目の前に存在してる問題の重要性には全く関係ない。
人生相談されてる時の坂田銀時みたいで、全然参考にならない答えを少年ジャンプから目を話さないまま返されてる気分になる。
そこで、「世界全てがシミュレーションである」という仮説から派生し「”自分以外の” 世界全てがシミュレーションである」という仮説を考えてみる。
なぜ前者はイメージが湧かず後者はイメージが湧くかというと、この世界で確実に自我を持っていると考えられるのが自分自身だけだからである。
思春期を過ぎれば、人は自我を持って自分とは何か、などを一度は考えるとされているが、チューリングテスト的にいえば、自分以外の人間の自我を確認することはできない。
では、「”自分以外の” 世界全てがシミュレーション」というのはどういうことか、マリオカートを例として扱う。
まず、4人プレイ用のステージを遠くの見知らぬゲーマーとオンラインで繋がり、協力してプレイするとする。
しかし、運悪く繋がれたゲーマーは1人だけだったので足りない2人はコンピュータで代用することにしたとする。
すると画面は次のように4分割になる。
見知らぬ友達とステージをクリアし充分楽しんだとして、次に運悪く友達が1人も繋がれなかった場合を考える。
ここでコンピュータが誰とも繋がれなかったあなたを不憫に思い、気を遣って友達と繋がれた、と嘘の表示をしたとする。上記の画像で右上のプレイヤー名が”Cp3” となるはずが ”友達1” という表示にすり替わっている状態である。
そしてすり替わっているのはプレイヤー名だけではない。
コンピュータは実際の人間がプレイする時のミスの仕方や得意なコマンドなどを機械学習によって見事に再現しており、クリア後のメッセージ上のやりとりも人間味を忘れない。あなたはすっかり友達とプレイできたと思い、実際に友達とプレイした時と同じように楽しめたとする。
あなたの楽しみの度合いはコンピュータによってほぼ完全に再現された、という意味で、コンピュータはあなたのゲームプレイングの世界をシミュレートできたことになる。
この程度であれば現代の科学技術の延長で確かに再現可能であると考えられる。
この「コンピュータによるゲームプレイングのシミュレーション」がVRの仮想現実でのゲームでも可能になれば、より一層先述した仮説が現実味を帯びてくる。
遠くの友達と仮想現実上のカフェでお茶をしたと思っているが、それはコンピュータによるシミュレーション。大学で講義を受けていると思っているが、その講師も授業も隣に座ってる友達もコンピュータによるシミュレーション。
一度ヘッドセットをつけてゲームの世界に入ると、自分以外の全てがコンピュータによるシミュレーションでも、マリオカートのときと同じようにあなたはそれに気づくことができない。
そして、もしそのヘッドセットの装着時に、「現実の記憶を持ち込まない」というボタンを押していたとすると、以下の事実が考えられる。
今このnoteを書いている私(石原)は、前の段落で述べてきた「あなた」と全く同じ条件である。
現実の石原がヘッドセットをつけており、「noteで2記事目を投稿する」という設定のゲームを、現実記憶消去オプションでプレイしていたとしたら、こうしてキーボードを叩いているこの私の世界を完全に再現できるはずである。
ここからが本題である。
では果たして、現実でヘッドセットをつけているのは本当に石原なのだろうか。
このヘッドセットに、キャラクター選択機能がついていたらどうだろうか。
ビデオゲームの最初のキャラクター選択のように、ゲーム上での自分を選択できるとして、田中という一般人が、石原というキャラクターで、記憶消去オプションでプレイしてる可能性が考えられる。
そう仮定すると、次の問いに一旦の結論が出る。
かねてから、なぜ私は石原以外のインターフェースで世界を知覚することができないのか疑問に思っていた。
石原の目から入ってきた情報しか見たことがなく、石原の耳から入ってきた情報しか聞いたことがない。この世界にはこんなにも同じような人間が存在するのに、なぜなのか。
明らかに私にとって石原こそが自分自身であり、石原以外の人間は他人やサブキャラである。
なぜなのか。
この世界に溢れた膨大な情報の中で、私が知覚できる情報量はこの ”石原” という人間を介して得られるものに限った、極めて限定的なものである理由はなぜか。
その答えは
「このシミュレーションゲーム上で、プレイヤー主が選択したキャラクターが石原だったから」
というのが、現段階での結論である。
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