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【お笑い】R-1グランプリに初出場した3日間の日記

※前回のR-1(R-1グランプリ2024)に出場したときに書いた日記です。

2024年 1月13日(土)

 舞台上のような大声で飛び起きた。十二時。完全に寝過ごしたと青ざめながら、今日はまだ土曜日だと気づく。明日もさきほどのような声量を出せたらよいが。

 R-1グランプリ――ピン芸人の賞レース――に今年初めてエントリーした。大学時代からお笑い同好会に所属し、卒業後もOBOG(サークル卒業生)公演に度々出ていたが、こういった賞レースへの参加は初めてだ。

 なぜ卒業から5年も経ってからエントリーしたか。心境の変化の理由は2つある。1つは、去年の秋にOBOG公演へ久々に出演し、改めてお笑いの面白さを感じたからだ。昔の私は「好きな芸人はモンティ・パイソン」と答えるような尖った芸人だったが、28歳にもなると良い意味で棘がなくなってくる。今は普通に正統派のしゃべくり漫才がしてみたいが、相方がいないのでとりあえずピン芸にする。

 もう一つは、去年(2023年)は賞レースでうまく結果が出せず、それである種の覚悟が決まったからである。詩人である私は雑誌『ユリイカ』の投稿欄に作品が掲載されることがあり、正直に言えば一昨年昨年は「ユリイカの新人」(投稿欄の年間大賞)も狙っていた。しかし去年の後半から選外佳作が多くなり、結局新人には選ばれなかった。

 エンタメ系WEBメディアのオモコロが新人発掘のために行っている「オモコロ杯2023」に落選したのも大きい。私はダジャレを実践する企画「銀行で吟行やってみた」で応募した。事前にロケハンを行って、わざわざ松尾芭蕉の衣装を用意し、俳人はじめ参加者を集め、日本橋周辺の銀行を巡って吟行(名所に行き詩歌を詠むことを)して、そのレポートを書いた。企画段階から記事化まで2カ月かけた渾身の一作だったが、結果は銅賞にもかからず。

 よりによって文章で敗北の辛酸を舐め続けた。ならばもう「俺は俺でやってくしかねぇ」。詩人としてのブランディングなんか知らない。元々自分で同人誌など作り続けてきた身だ、ユリイカやオモコロといった大手メディアに振り向いてもらえないなら独立独歩でいくのが筋だろう。センスのある人にはなれないのだから、代わりに一番泥臭くなれ。かくして今年からは箍が外れて、現代アートとして映像作品を精力的に制作したり、このようにアマチュア芸人としての動きを活発化したりしている。

 R-1グランプリ1回戦は明日の11時からはじまる。今日はネタの練習をしつつ明日に備えるつもりだ。私が作ったネタは「走れメロス」。邪知暴虐の王の元へ走っていくが思った以上に日の沈みが早く、メロスがやる気をなくしてしまう一人コントだ。実は去年11月に太宰治ゆかりの場所として有名な三鷹の跨線橋で、ギリシャ風の格好をしながら『走れメロス』を走りつつ全文朗読するパフォーマンスを撮影し、その際の衣装の再利用だ。数千円の安物とはいえ一度使ってお役御免はもったいない。

 1回戦の持ち時間は一人2分。かなり短い。時間オーバーしないように微調整を続ける。昼過ぎ、相互フォローでありR-1にも出場する山本俊治氏が自身のネタの感想をX(Twitter)で募っているのを発見したので、互いのネタ動画を見せ合おうと持ち掛け、急いでメロスネタを撮影し山本氏に送った。私はどこまで他者のネタに指摘してよいかがわからず、抑え気味に感想を言ってしまったが、山本氏は私よりも遥かに詳細にアドバイスを送ってくれた。この熱量で私に挑んでくれたのは純粋にうれしいし、私もこの熱量を出せたはずなのに躊躇してしまったのをすこし悔やむ。山本氏の指摘を受け、すぐさまオチ部分を修正した。

私のエントリーナンバー

1月14日(日)

 本当に起きなくてはいけない日はむしろ寝つけずに途中覚醒が多くなる。睡眠不足の吐き気と、緊張の吐き気。えずいた喉に室内の寒い空気が入り込む。

 会場は東新宿の小劇場。まだ太陽の熱が地表に広がりきらない午前10時が集合時間だ。それらしき若人たちが劇場の周りでそわそわしている。会話をしている者は誰もいない。私が割り振られたこの日は、エントリー者のほとんどが事務所に所属していない回だ。いわゆるフリーの地下芸人も混ざっているだろうが、大抵は今日のためにネタを仕込んできた一般人である。ただよう緊張は目前となった舞台をだけではなく、日常と分断された芸事を控えているからもあるだろう。

 スタッフの号令で蟻のように整列し、狭い階段をぞろぞろ下りた先には、ワンルームより少し広い程度の無味乾燥な楽屋があった。そこで十数人が待機する。狭いこの空間で誰も言葉を交わさず、各々が着替えたり小声でネタを確認したり。私もメロスの格好に着替えた。ペラペラなパーティーグッズの下にはパンツ以外身に何も着けておらず、その姿で楽屋中央に立っていると、誰にも晒していないのに露出狂になった気になってくる。

 思えば先日の三鷹跨線橋でもパフォーマンス開始前は今と同じ心境になった。素っ頓狂な姿を素面の状態で他者に見られるのは据わりが悪い。あの跨線橋はパフォーマンス実施日から一カ月後には取り壊しが決まっていたので、当日は早朝ながら撮り鉄の人たちが多くいた。この楽屋も似たような状況で、妙な格好をしているのは私とハゲヅラ被って坊主風の誰かのみだ。私服やスーツの者が大半である。この羞恥はアドレナリンがまだ出ていないからだろう。試合中なら骨折しても平気な格闘家も、自宅でタンスの角に小指をぶつけると悶絶してしまうものだ。

 楽屋にはモニターが一台取り付けられており、舞台と観客席が映っている。あと一時間しないうちに私たちはあの舞台にあがってネタを行うのだ。唐突に誰かが「けっこう観客いますね」と誰かに話しかけた。「そうですね思った以上に」と誰かが返す。そこからぽつぽつと会話が生まれだした。そうだ、私たちは同じコンテストに挑戦するライバルではあるが、一方で共通の不安と期待も抱えている。過度に牽制し合う必要はない。私のメロスに触れてくる人も現れた。「メロスは誰もが知っているじゃないですか。だから状況説明しなくてもよくて、今回のような短い尺のネタだと都合が良いんですよね」と私が説明すると彼は過剰なぐらいに感心してくれた。それが少しうれしくて、芸人は他の芸人に対し同業者以上の仲間意識を持つ理由がすこしわかった気がした。

舞台上の様子

 いよいよ1回戦の開始時間となり、会場の拍手がモニターから響いてくる。1回戦では8人から10人単位で舞台袖に呼ばれ、流れ作業のように次々とネタを見せていく。小さな劇場で楽屋と舞台の距離も近いから大声は出せず、代わりに目配せや小声で仲間を送り出していく。大会開始までの落ち着かない時間を共にした彼らが一人また一人と楽屋から消えていくのに寂しさをおぼえつつも、それはつまり自分の出番も刻一刻と近づいていることを意味している。練習はどれだけしてもし足りない。前日あれほど練習したのに「もっと練習しておけばよかった」という念が沸き起こる。しかし今はその実体のない後悔に身を任せるのでなく、粛々と最終調整を行うべきだ。

 そして、とうとう私の番が来た。私の一つ前はあのハゲヅラを被った坊主だった。彼とは楽屋で話さなかったし、今からここで声をかけることもできない。ただ視線だけを交わらせた。

 ネタをするにも待つのにも2分は短い。坊主のリズムネタはすぐに終わり、私の出番となる。転換の出囃子と共に舞台上へ飛び出していく。この劇場は床も壁も黒色のみで一切の装飾がない。そして横幅八メートルほどの舞台の前には、段々に並んだ座席と、そこに座る幾人もの観客たち――壁に見えた。一切動かずに、その存在をもって私を威圧してくる。

 恐怖なのか緊張なのかわからない感情がぶわっと湧いたが、それに浸れる時間はおそらく零コンマ数秒しかなかった。終始甘噛み状態なのは自分でもわかる。しかし、一度坂を下ったジェットコースターは止まれないように、一言目のセリフを口に出した以上は最後までネタを続けるしかない。いまはただその一事だ。走れメロス!

 五段の影たちは笑い声の一つも出さないが、わずか見える顔の凹凸は子鹿を前にした慈母のように微笑んでいた。元々時間内に収まるように調整を重ねてはいたが、おそらく想定以上に早口になっていたのだろう、2分経過直前の警告アラームを聞くことなくネタを終えた。「ありがとうございました!」と叫んで舞台を立ち去る際にもらった拍手が、今日聞いた中で一番大きな音だったかもしれない。

 この後の出番のエントリー者が時間差で次々と楽屋へ入ってくるので、出番が終わった者はすみやかに劇場を立ち去る決まりだ。外へ出た時点でまだ午前中だった。空気は温まりきっておらず冷たい。

 先に出てきた人たちが近くで会話しているのを見つけ、私もその輪に入った。一仕事やり遂げた職人というよりは、徹夜明けのサラリーマンに近い顔を誰もがしている。私も同じなのだろう。そういうフリであることを明確に意識しつつも、ほんの少しの希望も確かに持ちながら、「じゃ、2回戦で会いましょう」と互いに言い合った。

楽屋の貼り紙

1月15日(月)

 実際のところ、結果は昨日の夜には発表された。敗退である。
 棄権を抜いても120人ほどがいた中で合格者はわずか19人のみであり、その中には元竹内ズのがまの助氏はじめプロも混ざっていることを考えれば、アマチュア出場者なんてそんなものだとも言える。しかし、負けは負けだ。この現実をまずい肴にして昨晩は飲んだくれてしまった。
 そして一晩明けての今日である。勤め人である私は月曜の朝にしっかりと起きて出社しなければならない。負けたら負けたで敗者としての地平が目の前に広がっていくだけで、それ以上でもそれ以下でもなく、何があっても朝は来てしまうのだ。結局は「やれることをやっていく以外に道はない」に戻ってくる。フリーエントリー制のお笑いライブにでも挑んで武者修行していこう。

楽屋での順番待ち中。もっとちゃんとした写真を撮っておけばよかった。


※現在、渡辺八畳は社会人お笑いコンビ「位置の市」として、都内お笑いライブで不定期に活動しています。見かけたら応援してください!

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