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【今があることに感謝/想像力が平和の鍵】~世界もココロもグラデーションでできている~537


こんにちは
八彩理絵子(やいろりえこ)です。


今日は『送り盆』と呼ばれるお盆最終日にある一連の儀式をする日。日本中8月と思っていました。お盆は地域によって期間が違うのですね・・・

私は朝、地元のお寺さんにお供えした供物などをお願いしてきました。そして送り火も済ませました。なんだか無事役目を終えたというホッとした気持ちと寂しい気持ちが交差しております。

さて、

昨日は終戦記念日でした。TVでもドキュメンタリーなど放送されていましたが胸を締め付けられるような場面がたくさんありました。

戦争なんてなければ家族で穏やかに暮らしていたであろう日々が奪われることになる。初恋に胸を躍らせる思春期真っただ中の青年たち、結婚したばかりの人や、自分の子どもが産まれたばかりの人もいたでしょう。そんな日常をすべて奪うのが戦争というものだ。誰もそんな未来を望んではいなかったはずだ。そして現在だって誰も幸せにならない未来などを望む人はいないと信じたい。戦争とは全てを奪っていく。


“「日本人なら知ってほしい。植村眞久海軍大尉の愛児に宛てた遺書」”

をYouTubeで見てみてください😭

遺書はもちろんですが、

「最後に子どもの声が聴きたい」と願った父である植村さんの紹介もしてくれています。もう切なくてせつなくて・・・


こういった方がたくさんいらっしゃったのでしょう。そう思うといたたまれません。




ちなみに私が昨日視聴した番組です。
N○❍+で視聴できます。

🔶N○○スペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争1944  絶望のそらの下で

太平洋戦争の3年8か月を、当時の日記や手記から追体験するシリーズ。第4回でした。市民の犠牲が急増した1944年。1万の住民が犠牲となったサイパン島の戦いを、14歳の少女の手記からたどった内容でした。


🔶【特集ドラマ】昔は俺と同い年だった田中さんとの友情

椰月美智子作の児童文学「昔はおれと同い年だった田中さんとの友情」のドラマ化。小学校6年生のスケボー好きの男の子、拓人が神社の管理人をしているおじいさん、田中さんと出会い、田中さんの戦時中の体験を聞いたことから進んでいきます。小学6年生で家族全員を亡くした田中さんの人生と現代を生きる小学6年生の交流からそれぞれが自分と向き合うことにも繋がっていたように感じました。

今後も数日は戦争関連の番組があるようです。



徹子の部屋

〈田戸サヨ子〉戦後79年・・・14歳が見た広島の惨劇を



なぜ、戦争についての番組や記事を書いているかというと、私たちはどうしても「今があることを当たり前」と勘違いする。そしてまた「今日と同じような明日が来る」とこれも勘違いしてしまう。

戦争があった時代の今日はきっと当たり前と思って生きていた人はいなかったと思う。命を脅かされながらも精一杯生きた今日であったと想像する。

いつ命が無くなるかわからない今日ならば、今日と同じ明日が来るなんていう思いにも及ばなかったであろう。

そんなことを思うと、日本という国に生まれたこと戦争のない時代を生きていること、今日があることはキセキだ。当たり前ではないということを忘れそうになる愚かな私を「当たり前ではないよ!」と引き戻してくれるような感覚だ。

だから今日、日本という国が存在していることに感謝し、戦争という時代の背景に翻弄され命を落とした人、家族を亡くして悲しんだ人、精一杯生きて今の日本を築いてくれた人達、すべての人に哀悼の意と敬意を払い感謝の気持ちをもって今日を精一杯生きていくと自分に誓った。



色々な番組を視聴していて気付いたことがある。体験談を語られた方、すべての人が発したといっていいかもしれない言葉があった。それは

『地獄のようだった』

という言葉だった😭




今日はここまでになります。
この時期私が感じることについて書いてみました。

ここまで読んでいただき
ありがとうございます。


大切なお時間をありがとうございました。

非常に強い台風7号

みなさま十分お気をつけください。

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