今は言葉がない
困ったことにオールドデジカメが増えている。しまった、いいたいことがない、写真を貼る。
なにがいいたいのだろう、わたしはときどきぶつ切りの言葉でなにかを言いたがる。冷凍、鮮烈、いい写真? 色遊びに形遊び、影遊び。どれも手遊び。
自分のやっていることが無意味なことだとは常々思っている。生活そのものがそうであるように、しかしそれ以上に意味がない。ただ表現それ自体が尊厳なのだと思う。わたしにとって写真とは尊厳なのだと思う。
楽観的な音楽が頭から離れなくて、口ずさみながらなにかしている。わたしはこう見えて機嫌が良いほうなのだけれど、散らかっている。いい写真。冷凍。
なにを目指しているのか、なにになりたいのか、何者でもないことを自覚しながら、できればわたしのことは無視してほしいと思っている。居ないものとして扱ってほしい。本来、それがわたしが撮る全てにとってのあるべき姿なのだと思う。見ないでほしい、たとえファインダーの外にいても、空気を変えないでほしい、そんなことを思った。
わたしの写真に人が写ることはまれなのだけれど、この日は28~135mmのコンデジだったので遠巻きに撮ってしまった。Caplio R1、乾電池で動くSDカード対応の400万画素級1/2.5型原色CCDセンサーコンデジ。よいものだ、コンデジにはOVFが必要だ。はぁ、左様ですか。
わたしは写真が撮れているなとおもう。左様ですか。