ただ写真を撮るだけなら全くそれでいい
最近あんまり元気がないわたしですが、今日は前から気になっていた古本屋に行こうと重い腰を上げ、下げ、上げ、みたいなことを散々繰り返して昼前にようやく家を出たのです。カメラバッグにはご立派なやつが入っていたわけですが、なんだかそういう気分でもないなと、ここ最近のマイブームに則り古くさいコンデジで写真を撮っておりました。
ホワイトバランスと露出補正くらいしか変えられるところもないカメラで撮り歩きながら古本屋を目指していたわけですが、まあ写真撮るだけならこれでいいよねって。OVFがあって、なんだか頼りないAFとプログラムオートで、しかしまあたいていはきちんと写るようにはできているわけですから。
結局は撮ることが一番大事なわけで、それに向かわせるだけの最低限の魅力さえ持っていればカメラはそれでいいのですよね。今日使ったのは父の遺品であるIXY DIGITAL 300、300とついてはいますが210万画素、なんだか作為的ですよね。3倍ズームではありますけどね。
なにで撮るかは重要じゃないですし、どこへ行くかもさして意味のない話でして、撮影という動的な行為をいかにして写真にするか、そこばっかりが大事なんです、少なくともわたしの写真においてはですが。日常を切り取るとかそういうことを言ってるんじゃないんです、どこまで満足できるか、結局はそういうことです。その日は2000万画素じゃないと満足出来ないならそれ相応のものを持ち出しますし、コンデジじゃないと腰が上がらないならコンデジを持ち出すだけ。欲に忠実でなく、優れた道具を持つだけなんて、なんだかオタクみたいですし。
まあわたしはオタクなんですけども。それはそれとして古本屋では結構な冊数のふるい写真集を買ってきました。中には農協が公募して作った非売品らしき写真集があったりして、その中のアマチュア写真がまあなんというか、良い感じだなって満足しているのですよ。贅沢にもアラーキーを呼んだらしく、彼が撮った写真も載っていましたが、そっちはなんだか判を押したようなポートレートって感じであんまり好きになれませんでした。プロの仕事といえばそうなんですけどね。わたしってそういう良くないアマチュア根性があるみたいです。
だからってなんともない写真を量産しているだけなんですけどね。人がいないのが唯一、わたしの写真の褒められたところです。きっと。