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本物しか撮りたくない

我が家のモルモット、ズマロンちゃんのトイレを買いました。モルモットは基本的にトイレを覚えないそうなので用意していなかったのですが、何やらケージのカドでおしっこをしがちだということに気がついて設置。まあ思惑通りとはいかず全然使われていませんが、そのぶんうんちをするスペースが狭くなって掃除がしやすくなったのでヨシとしましょう。

今日は山口県美祢市役所の反対側を歩いていました。美祢というのはまあ採石場とカルスト台地の他にはあまりなんにもない場所で、ちょこちょことなにかあるにはあるのですが観光名所として知られてる感じでもなく、特に市役所のある町なんかは採石場のほか本当になんにもありません。田んぼとか山とか、まあそんな感じの場所です。

ただまあなにもない場所というのがわたしは好きでして、そういうところに車を停めては歩き回って写真を撮っているわけです。田舎の田舎らしい場所というか、山口県らしい場所というか、観光するようなところよりずっと本当のような気がしていて、歩いていて落ち着くのですよね。ただ今日はなぜか右足首がとてつもなく痛くなったので大変でしたが。

ぶらぶらしていたら竹林公園というのがあったので入ってみると、普通に山でした。騙されたような思いで、しかしせっかくだからと短い山道を登り、美祢の町を見下ろしてみるとやはり何もない。そう大きくはない生活があるだけです。つつましく、なぜあるのか分からない生活。

行った先々で地域の人と関わるなんてことはほとんどしなくて、基本的に人を避けながら歩いています。単純に他人が苦手とか、そもそも人間嫌いとかあるのですが、そのほかにも一歩引いたところから写真を撮りたい、という考えがあったりします。ある種の客観性を持つことでその土地の印象をまっすぐに捉えられるような気がしていて、それは「いい人たちといい場所だったな」というポジティブな記憶すら持たず、ただそうであるという写真を撮るのに良い効果をもたらしているのだと。在る、というのが大事なんです。シャッターを切る時、あまり感情は持ちたくない。

田園を横断して人の気配がする場所に入り込みました。といっても建物はそんなに多くなく、学校はあるけれど子どもたちはいるのかしらと少し疑問に思ってしまいました。そのくらい静かで、ひらけた感じ。密度がない、ゆとりがある、どう捉えるべきかわかりませんが、これが日本の大部分であって、あまり気にされない田舎の風景なんですよね。それが良いとか悪いとかではなく、わたしにとってはこれがいっとう現実感のある風景というだけの話です。

なんというか、わたしの地元よりもどこで遊べばいいのかわかんないところでした。川とか山とかありますけれども、どこそこの公園で、って感じでもなく、公園といえばあそこ、みたいな場所です。選択肢が多くない。そんな印象を受けました。とはいえ子どもとしてこの町に過ごしていたら、まあたくさん遊んだろうとは思います。子どもってそういうものですし。

そんなことを思いながら美祢の町をぶらぶらした日でした。足首の痛みのせいであまり歩けていないのですが、ほとんど大きな道路沿いを歩いていた気がします。住宅街はほんの少ししか歩いていませんし、そうそうカメラを構えるような場所でもないので写真は少なかったです。しかし、充分に撮れたようにも思えました。美祢ってどんなところだろうと思ったとき、産業や観光を避けてみるとこんな感じだろうって。というか、田舎ってこんなところかな、って。もっと田舎すぎる田舎もありますけれども、まあそれはおいおい。

本物しか撮りたくない。スマホのホーム画面にあるリマインダーにそう書いてありました。多分こういうことだったのだと思います。いつのわたしが考えたのかもわかりませんけれども。

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