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翔太さんと佳織さんの1年 〜能登半島地震の日から
「翔ちゃん、ずっとここにいる気がする」
佳織さんはそう話してくれた。1月1日に能登半島を襲った大地震で亡くなった夫の翔太さんのことだ。
能登から金沢に戻り、行きつけのおでん屋さんでの言葉だった。
3年ぶりに会った佳織さんは、前と違った綺麗さで、目の色が深くなっていた。
前の佳織さんがカンカンに晴れた夏の青空だとしたら、今は雲のある空をどこまでもオレンジ色に照らすような夕暮れのよう。
熊本でのこと、あの日のこと
熊本で福祉施設を運営していた佳織さんと翔太さん。
2人の福祉施設はアートを中心にした通所施設で、通っている方と佳織さん、翔太さんは、垣根がなくてどこまでもフラットだった。
皆さんが無理なく自分の時間を過ごし、その人それぞれの時間の過ごし方を大切に守っているような印象を受けた。
その場の空気感がわたしはとても好きだった。
恥ずかしがりの、2人の愛猫てんちゃんは、来客があるとプリンタの下に隠れる。
翔太さんはその様子を見に行ったりてんちゃんに声をかけたり、利用者の方の送迎の時の目線が優しかったり、手袋のようにあたたかな人だと思った。
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それから2年ほどして、佳織さんの「輪島塗を勉強したい」という思いを叶えるため2人は輪島に移住した。翔太さんは地域おこし協力隊として輪島の一員となった。
持っている大切なものやつくりあげたものを手放すのは簡単じゃない。
それでも「後悔のないように」と選んだ道だった。
かっこよくて痺れる。
***
2024年の1月1日に、団欒の中に飛び込んできたのは能登半島で起きた大地震のニュースだった。
言葉が出なくなったあの「津波から逃げて」のアナウンス。
冬に起こる地震、しかも寒い地域。
熊本地震を経験してからというもの、"その後"をスパパパッと予想しちゃって、これからどうなるのか……と不安が募った。
津波はなんだかよく分からないままに到達していて、いったいどんな規模だったのかどこを見ても全く掴めなかった。
わたしの頭にずっといたのは、佳織さんと翔太さん。
その数日後、翔太さんが亡くなったことを知った。
揺れたとき、佳織さんと翔太さんは1階の別々の部屋にいた。
一度佳織さんのもとに来た翔太さんは、揺れに驚いて隠れたてんちゃんを探しに元いた部屋に戻った。
そこでさらに大きな揺れがきて家が崩壊した。
佳織さんのいた部屋の上には2階部分はなく、翔太さんのいたところには2階があった。
それからしばらくして、てんちゃんも亡くなっていたのが見つかった。
わたしはてんちゃんに会えずじまいだった。
***
能登へ
2024年11月、石川に縁があり、能登半島へも足を伸ばした。
輪島市に入ったあたりで、佳織さんに
「住んでいたところで手を合わせたいから住所を教えてくれますか?」
と不躾な連絡を入れた。
数ヶ月ぶりの連絡だったのに、「わたしもこれから行きます!」と、金沢から駆けつけてくれた。
佳織さんに会うまでの時間は、金沢市に接する灘町の被害の大きかった地域に行き、半島の西側では隆起した海岸を見て、集落を覗かせてもらった。
珠洲市の奥の方では逆に沈降している部分もある。
案内してくれた人は、能登半島の左側が上がり、右側が下がり、半島ごとねじれた感じなのだと教えてくれた。
被害の大きさにも、被害を受けた範囲の広さにも言葉が出なかった。
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笑顔に救われる
午後、佳織さんと待ち合わせしたのはカフェだった。Google mapには閉業とあったところに人が賑わっていた。Fujifilmさんが写真を額装してプレゼントするという1日だけの催しがあっていた。
それぞれに大切な一枚を持ってきていて、佳織さんの手にあったのは、まだ2人が出会う前、20年くらい前の翔太さんと翔太さんのご家族の写真だった。
「この写真の笑顔がすごく心に残ってて。この写真、見つかってよかった…」
写真の翔太さん、笑顔です。これを翔太さんの家族に贈るそう。
「笑顔って、やっぱり救われるんです」
佳織さんが言った。
この一年、写真に残る翔太さんの笑顔に救われたことが何度となくあったのかもしれない。
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繋ぎびと
佳織さんは、能登や輪島で暮らす素敵な人々に会わせたいと、繋ぎびとになってくれた。
人の集まる場所に、千枚田という海に繋がる棚田で地域のために生きる女性、拠りどころとなって人を迎え入れ包む家族。
ここは、"被災地"ではなくて誰かのふるさと。
崩れたのは建物じゃなくて、誰かの暮らし。
能登半島をぐるりとしてみれば、家々は崩れてそのままで
人の気配もあまりせず、とっても寂しい。人の暮らしの痕跡が見えるのに人がいないというのは、自分だけ未来に来たような孤独感で、真新しい遺跡のような気さえする。
でも、こうしてここで生きる人の、当たり前の表情や動きや、心通う瞬間に、その感覚を改める。
「能登の人をたくさん紹介したい。そしてまた能登に来てほしい。本当に素敵な人たちだから。」
そう言って、能登の家族みたいな人たちを紹介してくれて、その人たちの好きな景色を見せてくれて、わたしの中の『能登』という言葉に色がのった。
壊れて終わりじゃない。暮らしはまたここで続いていく。
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田植えや稲刈りに佳織さんと翔太さんは参加していた。
この地の人に出会い、翔太さんと佳織さんがいかに愛されてきたか垣間見れた。
ここにはいないけど
それから私たちは2人が暮らしていたお家に行った。
わたしは手を合わせに来たのだけど、もちろんそこに翔太さんがいないのは分かっている。
分かっているけど、だからと言って素通りできない気持ちだった。
佳織さんは数ヶ月をかけて、車をはじめ取れるものは取り出した。屋根は崩れたままだった。
佳織さんは、何度も見たであろうこの景色をじっと見つめていた。
大切な人の喪失を前に、わたしはどんな言葉も軽すぎる気がして何も言えなかった。ただ写真を撮るだけだった。
彼女のその目線に美しさのようなものを感じて、
どんな時間を過ごせばこうなるのかと何の種類かわからない感情が湧き出てくる。
わたし一人であれば、受け止める心のお皿から、いろんなものが溢れてしまったかもしれない。
一緒に来れてありがたかった。
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おでん屋さんと翔ちゃん
車ごとジャンプしながら、輪島から金沢へと戻った。
ときに、地震前だとありえない場所にある道を進んだ。
わたしたちはおでん屋さんに入った。
「後悔しないように生きようと2人で常々話していた。そして考えて輪島にきた。短いと言われるかもしれないけど、翔ちゃんは生き切った。素晴らしい人生だったと思う。 」
『地震の犠牲となった人』ではない。
翔太さんの生きた道こそが翔太さんだ。
「あの日から、人生観、死生観、変化がたくさんあった。
翔ちゃんは、お墓や住んでた家にいるわけじゃない。姿がなくて寂しいけど、今までよりもっと近くにいるような感じもするし、今もここらへんにいてくれてると思う」
この1年、苦しくてたまらない夜を幾重にも過ごしてきただろう佳織さん。落ち着く時間もあれば、悲しさや寂しさがしんしんと積もっていくものかもしれない。それでも、思い出も思いも全部抱えて佳織さんの道をいくのだと思う。
できることならわたしも翔太さんにもう一度会いたかった。
でもなんだかそこで翔太さんが微笑んでいる気がしてたまらないから不思議。
佳織さんを見守り、どうぞ包んでくださいねと願いながらおでんを食べた。
笑ったり泣いたり、忙しい時間。
能登の寒空で冷えたからだ、おでんがしみこむ。
「こうして心通じる人との時間を大切にしたいね」
「生きてれば、なんでもできるね」
と、ほくほくした金沢の夜。
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大好きな2人へ愛を込めて。
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