【愚痴8】キャプテンの仕事

どうも、

エイトブリッジのヒゲが濃い方、篠栗です。

今年の全国高校野球大会は、
史上初の決勝戦での智辯対決を制した
智弁和歌山高校の優勝で幕を閉じました。

新型コロナウイルスの影響や
長雨の影響での史上最長の順延など、
大会が無事に終わるかどうか心配される声もあった中、
多くのドラマが生まれた素晴らしい大会になったと思います。

「熱闘甲子園」には、毎晩のように涙腺を刺激されたりもしてました。

自分以外の、赤の他人の頑張っている姿で涙が出そうになるような年齢に
自分がなってしまうんだな、と今年も思いました。

僕も、小学校3年から大学4年まで
14年間野球をやってきました。

よく、大学まで野球をやっていたと話すと、
野球が結構上手いと思われてしまうことがあるのですが、
正直言って、僕の野球人生は
冴えない日々でした。

小学校の頃は、練習嫌いのぽっちゃり外野手だったし、
中学校では、練習の虫となって、体型もスリムになったし、
ピッチャーもやったりしましたが、今思えばここがピークだった気もします。

高校に入ったら、ピッチャーとして通用せず、すぐに外野手に転向したものの、
1年生大会でセンターを守れば、1試合で5回もトンネルをするという失態を晒し(外野手のトンネルは、即ちランニングホームランとなる。つまり、僕は5本のヒットを5本のホームランにしてしまったのである)、
その後、最上級生になるまではレギュラーにもなれず、たまに練習試合で起用してもらうくらいで、ただただキツイ練習をこなす日々を送っていました。
しかし、最上級生になると、練習態度が認められたのか、意外とチームメイトからの信頼が自分に集まっていたからなのか、はたまた図々しくも自ら立候補したからなのか、
新チームのキャプテンに就任しました。

それからというもの、
自分は野球部のキャプテンであるということが、
自分にちょっとした付加価値がついたような気になって、
若干いい気になっていた気がします。

でも、そのキャプテンの肩書きに自分の実力が追いつくこともなく、
練習に寝坊で遅刻することもあれば、
試合でヒットを打てば牽制でアウトになるし、
試合に負けたその帰りに、そのまま制服で当時の彼女とお祭りデートに行ったり、
春休みに学校に泊まり込みで合宿するというタイミングで腰痛で合宿に参加できなかったり、

とにかく、チームメイトをがっかりさせてばかりのキャプテンでした。

それでもついてきてくれた同級生や後輩たちのおかげで、
なんとか夏の大会までにチームがまとまってくれて、
地方予選の一回戦が始まりました。

初戦敗退しました。

言い訳をするとしたら、
対戦相手のピッチャーが最速148km/hのストレートを投げるプロ注目選手でした。

初回のピッチングを見た感じ、そんなにストレートが走ってなかったので、
これはいけると思ったのですが、
回を追うごとに伸びが増したストレートは、
2打席目、3打席目と打席に入るたびに目で追うことすらできなくなっていました。

ちなみに、僕の高校野球最後の打席は、その試合の4打席目で、
高めのストレートにむやみに手を出したら、
打球が真下にいき、雨でぬかるんだバッターボックス近辺の柔らかい土に刺さって
バウンドもすることなく、そのまま埋もれました。
今までの野球人生で、バットを振ってから走り出すまでの間に
自分の視界の中で打球が止まったことは、それが初めてでした。

正直、走り出すかどうかも悩みました。

でも、これでそのまま棒立ちして、
キャッチャーがそのボールを拾ってタッチされてアウトじゃ
キャプテンとして示しがつかない、

と一瞬で考えて、走り出しました。

5歩目くらいで、
もうキャッチャーからファーストに送球がいき、
審判がアウトとコールしてました。

それでも、僕は
「まだ間に合うと信じてる」
みたいな顔して、ダッシュしました。
なんなら、
「ヘッドスライディングしようかな、いや、さすがにそれはやりすぎか」とか思って
ファーストベースを踏んで、そのまま走り抜けました。

そのままチームは負けました。
バッターとしてはノーヒットだし、
守備でも
記録上はエラーじゃないけど、フライの一歩目が出遅れてヒットにしちゃうミスもあり、とにかく最後の最後までいいとこなしでした。

それでも、試合が終わると、やはり悔しくてたまらなかったのは、今でも覚えてます。

ただ、この後、僕にはキャプテンとして最後の仕事が残っていました。

高校野球に多少精通している人ならわかるかもしれませんが、
負けチームのキャプテンは、
自分たちを応援してくれる人たちが作ってくれた千羽鶴を、
勝ったチームのキャプテンに渡し、
「これで俺たちの分も頑張ってくれ」とメッセージを伝え、
熱い握手を交わすという、
恒例行事といっても過言ではない儀式を、球場の外で行うのであります。

その儀式を行うために、
試合終わりの球場の外で、みんなが帰り支度をしている中、
「ちょっと行ってくる」と言って、
マネージャー達が自分たちのために作ってくれた鶴の束を持って
相手方のベンチ裏に向かいました。

これがキャプテンとしての最後の仕事だなぁとか思いながら、
少し悦に入ったような気持ちにもなりつつ、
相手方のベンチ裏に到着すると、
相手チームは、次の試合に向けたミーティングをやっていました。
選手達はまとまって監督さんの方を見ていたため、
選手達の背中側から登場してしまった僕に、誰一人気づいてくれませんでした。

僕が、鶴を手に、モジモジしてると、
熱心に選手達に話をしていた監督さんと目が合いました。

監督さんは、そのままスルーして話を続けました。

てっきり、僕に気づいた監督さんが、
相手チームのキャプテンに「おい、受け取ってこい」と
言ってくれると思ったのに、

監督さんは、そのままスルーして話を続けました。

僕はもうどうしていいかわからなくてその場に立ち尽くしました。

すると、最後尾で話を聞いていた
相手方の1年生マネージャーらしき女の子が、
その立ち尽くしている僕に気づき、歩み寄ってきました。

「どうかしましたか?」と聞かれました。
「これ、渡しにきました」と伝えました。
「じゃあ、渡しておきます」と言って、鶴は僕の手から離れていきました。

「次も頑張ってください」と言いました。
「ありがとうございます」と言われました。

そのマネージャーの女の子には悪いですが、
お前じゃないよ、と思いました。

こんな感じで、
最後の最後まで僕はキャプテンとしての仕事を全うできませんでした。

僕の高校野球時代は最後の最後まで
本当に、悔しいというか、情けない感じでした。

長くなりましたけども、
毎年、夏になるとそんなことを思い出しちゃう、
っていう話でした。

その後、その鶴の束がどうなったかは知りませんが、
誰かの願いを叶えていてくれたら嬉しいな、と思うばかりです。



あ、ちなみに大学野球では4年間補欠でした。


あと、もちろん柵越えのホームランなんて打ったことないです。


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