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手のひらをもう一度、見つめる
最近、自分の意識を変える出来事があった。
三重県の伊勢神宮では千五百年もの間、朝夕、欠かすことなく続けられてきた神事がある。
神職は自らの手で火をおこし、その火で飯を炊き、供え、祈りを捧げるのだ。
それを知り、私は思った。
「自分は火さえおこさなくなったのか」と。
私の暮らしは誰かがおこした火によって支えられている。
コンビニで食事を買い、暖房の効いた職場で、パソコンの画面をみながら、腹を満たす。
私はいつから、自分の手でつくることをやめてしまったのか。
子供の頃、虫めがねで太陽の光を集め火をおこした。キャンプでは、木と木の摩擦で火をおこして、飯盒で炊いた米を頬張った。
便利さに身を委ね、私は自らの手で何かをつくる喜びも忘れてしまっていた。
私の暮らしは適正なのだろうか。過剰な便利さが、どこかの、誰かの暮らしを奪ってきやしなかったか。
いま、わたしは自分をかえる。
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