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Chapter-3 ウメ子さんインタビュー「おかあさん」は、本当にお母さん。まとっている空気がかわいい。

一時期、ママとして8番館を任されていたウメ子さんに、インタビューをさせていただくことができました。18歳のころから30歳を過ぎるころまで8番館に勤めていた方です。

現在は51歳。地元・宮崎の日向でお酒を出すお店を営んでいるそうです。当時のおかあさんとお店の様子、お店で借金を作って逃げたとされる経緯など、今だから話せることを、詳しく語ってくださいました。

ウメ子さんprofile:1970年宮崎県生まれ。 1988年福岡へ移住後8番館のスタッフとなる。その後8番館のレギュラースタッフをしつつ九州初のドラァグクイーンとして各種クラブイベントやゲイナイトで活躍、福岡のゲイシーンを牽引した。2000年頃8番館の二代目ママとなるが2004年に雲隠れ。その後各地を転々とし、現在は故郷宮崎県日向市にてバー「dot.」を営む。(画像提供:コウさん)



行ったら必ず楽しいことがある、

すべてのお客さんに出逢いを提供する店。


―ウメ子さんが8番館にお勤めになったきっかけは?

「地元の宮崎から出て来て、飲みに行ったらちょうど長く勤めていた人が辞めることになったタイミングで、そのとき僕は何もしていなかったので、おかあさんから声をかけられてバイトに入ることになりました。

当時は吉塚の男のところに転がり込んでいたので、そこから通っていました。その人とは2~3ヶ月で終わって、住吉にアパートを借りました。

まだ博多に誰も知り合いがいなかったので、おかあさんの言うことを聞いていれば良いと思って、なんでも真似していました。言葉でいろいろ指示する人ではありませんでしたね。

昔話をよく聞かせてもらっていました。博多に出て来て、まだゲイバーがなかった頃の話とか。昔の8番館はなんでもありのお店だったみたい。お店の中にブランコがあったそうですよ。

ヒッピーカルチャーの影響が濃かった頃、ちょうど世の中がものすごく変わっている時代で、パワーがあったみたい。頭がおかしい人もいっぱいいたとか。

僕が出会った頃のおかあさんは、もうピークを過ぎて落ち着いていましたね。恋愛に関してはサバサバしていて、激しい感じはありませんでした。

今の僕は、出会った頃のおかあさんくらいの年齢になりました。この歳になって分かるんですが、もう恋愛沙汰とかいろいろと面倒くさいんですよね。セックスより、自分の好きなものをあたためる感じ。

おかあさんも、お芝居とか映画とかが好きで、そういうものを観に行くことを楽しんでいました。穏やかで、人間関係のトラブルなんて聞いたこともないような人でした。
可愛いおじさん。いやおばさんか(笑) まとっている空気がかわいい人。」

―8番館とは、どんなお店だったのでしょうか。

「僕が行った頃には、もう有名店でした。王道のゲイバーですね。その頃はネットもなく、お店に来ることが大きな出会いの手段だったから、男が欲しくてゲイバーに行く人が多かったんです。

だから、来たお客さんには必ず男を引き合わせる、出会いの場でした。うちで男ができなかったら、あの店に行くと良いよ、などと情報をあげていました。

その頃が全盛じゃないかな。週末には100人を優に超えるお客さんが来ていましたから。

1階満席で立ち飲みもぎっしり、2階席までいっぱいになって飲んでいました。90年代に入っても、しばらくはそんな感じがずっと続いていましたね。

そのうちいろんな新しい店ができ始めて、ゲイバーもタイプがカテゴライズされるようになりました。体型別とか若い子のお店とか、短髪系のお店や、今で言うガチムチ系のお店とか。

8番自体はそんなに変わらなかったような気がするけど、僕が太めの人が好きなんで、僕が入ってからは太めの人がよく来るようになって徐々に変わって行ったような気がしますね。


おかあさんの昔からの友達は相変わらず来ていたけれど、周囲にカテゴライズのはっきりしたお店が次々にできたことの影響で、8番のお客さんも少しずつ変わった。

それ以前のゲイバーは、老け専バーとそうじゃない店の二択しかなかった気がする。HOZUKIが今で言うG-men系というかオトコ寄り系のお店で、SHINちゃん(当時SHIN、現SHIN & KEIKO)とかナナオさんのとこ(七男鳥)とか、ちょっとブラッシュアップした?というと言葉は間違っているかも知れないけど、そういうお店ができたあたりで流れが変わり始めて、その後にplan-b(プランビー)とかWxx(ダブルス)とかができて、また変わって。

キミちゃんとこ(FORWARD)ができてカテゴリがさらに分かれて……。その辺は順番がちょっと違うかも知れないけど、雑誌も『G-men(ジーメン)』*とか『Badi(バディ)』**とか、いろいろ出て来たのが、90年代半ばくらいじゃないかな。
この辺りの記憶は、正確じゃないですけどね。

えっ、キミちゃんのお店、去年25周年!? こわっ!!(笑)」



―キミちゃんともお付き合いがあるんですね。コウさんとも仲が良かったとか。

「キミちゃんとは20代からのお付き合いです。8番館に来てた。かわいい、かわいい、かわいい方ですね(笑)

コウイチロウとは歳も近いし、仲が良かったですね。彼はおかあさんと好きなものが似てたんじゃないかな。映画とかよく一緒に行っていましたし。」


コウさんから、ウメ子さんはキムタク似のハンサムな方で、当時とてもモテていたと聞きました。

「モテたかどうかは……。僕はとにかくセックスが好きで、最初はどうしていいか分からないから、おかあさんに『あのお客さんと行きなさいよ』と言われては、ある程度好みのお客さんとは毎晩アフターに行ってたんです。

よくお店で『昨夜は誰とヤッた』なんてネタにして話していたから、そのイメージで言ってるんじゃないかな。いつもセックスしているイメージ(笑)

キムタク似? 髪が長かっただけですよ。今はあの頃みたいに細くないし。

その頃って、おかあさん含めて24時間ゲイの人としか話さなかったので、外に出たらすごい世界だなと思いました。ノンケの友達と遊ぶようになって、こんな世界があったのか!と。高校生の頃から雑誌で知り合ったゲイの友達とばかり遊んでいたから。先生にも普通にいたし。先生はバレていないつもりだったみたいですけどね(笑)」


―8番館は、周囲のお店に影響を与えていたのでしょうね。

「最初、祇園町に8番ができたらそこにゲイバーの集まりができたけれど、8番が住吉に来たら、今度は住吉にすごい勢いでゲイバーができていったという流れはあるかな。

他のゲイバーの人たちも、8番館のお客さんだった人が開いた店もたくさんあったし、後からできたお店のオーナーたちも、8番館には来てましたね。お客さんを取られるなんてこと、おかあさんは気にしていなかった気がする。

それよりお客さんにとって行くところが増えるのは良いことだと思っていたようで、出張で来られるお客さんも多かったし、よく他のお店を紹介していました。

次はここに行ってみれば?なんて、お客さんの好みに合わせて。おかあさんにはすでに余裕があったし、お客を取られたなんて話、まったく聞いたことがありません。僕の方が、それはあったかも知れない。」


―ウメ子さんにとって、8番館はどんな場所?

「お店は楽しかったですね。どこへ行きたいとか、何が欲しいとか、願ったことはすべて叶うような場所だったし。いろんなお客さんがいたので、知らないことを吸収できて。

田舎から出て来て最初は『そんなことも知らないの?』なんていじられてたけど、“18歳”を売りにしてました。

仕事では、おかあさんとずっと一緒でしたが、プライベートは全然干渉し合わず、休日も一緒に過ごすことはほぼありませんでした。

僕は、お店でおかあさんと違う味を出していきたいと思っていたから、お店以外ではおかあさんとは別行動で旅行などに行って、お店では互いの休日にどんなことをしたとか、報告し合ったりしてました。

おかあさんとは、ぶつかったり喧嘩したりしたこともなく、終始穏やかな関係でした。

もちろん仕事上で怒られたことはあるけど、激しく叱られることも、強く指導されることもありませんでした。本当に、おかあさんは穏やかな人なんです。」

ウメ子さんは九州初のドラァグクイーンとしても活躍、ゲイシーンのみならずクラブシーンも牽引しました。(写真中央)


どうしようもなくなって、逃げた。

でもおかあさんは、一度も責めなかった。


―そんな良いお店を、辞めたきっかけは?

「きっかけ、というよりも、僕が逃げたんです。どうしようもなくなって。

おかあさんはもうその頃、お店には出て来ていませんでした。僕に任せてくれていたんです。でも、僕がだらしなくて。いろいろやらかして、家賃を溜めて、にっちもさっちも行かなくなって、ある日飛んだんです。

仕事もしないで遊び回って、事務処理も全然できていなくて。でも、自分からやるわって言い出しておいて、根を上げるのも癪だったんでしょうね。

詫びも挨拶もせず、そのまま逃げちゃいました。あんなにお世話になったおかあさんとも、連絡を絶って。


それから何年かして、自分から連絡をとって、ごめんなさいって言いました。その後、遊びに行くねと行って、おかあさんが一人でやっていた移転後のお店に訪ねていきました。

再会したとき、おかあさんは責めることもなく『あんた何してんのー?』って感じで迎えてくれました。ちょっと泣きましたけども。

その後も8番が長く続いたのは、やっぱりおかあさんが良かったからだと思います。ものすごく面倒見の良い方で、本当に誰に対してもお母さん、という感じの存在でした。」


―おかあさんに今メッセージを伝えるとしたら、何を伝えたいですか?

「(照れながら)元気ー?みたいな(笑)

昔からそうなんだけど、あまりお互い感情を言葉にして伝え合ったことがないんですよね。なんとなく雰囲気で、今日は機嫌悪いなー、今日はこんな気分だろうなー、という感覚でやりとりしてた。

でもまあ、改めて言うなら……


照れくさいけど、大好きですよ。
わがままで、手のかかる娘ですみませんでした。

ってとこかな。言ったことないけど!(笑)」

インタビューはコロナ禍の中、クロさんのお店からテレビ電話で行いました


*G-men(ジーメン) 1995年4月創刊の総合ゲイ雑誌。 主にグラビア、成人漫画、官能小説によって構成されている。筋肉、短髪などの男性的要素が強い嗜好を主に扱っている。 2016年2月発売号をもって休刊。 https://ja.wikipedia.org/wiki/G-men_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

**Badi(バディ) 1993年12月創刊の総合ゲイ雑誌。 主にグラビア、成人漫画、官能小説によって構成されている。 スポーツマン、マッチョ、美青年、ジャニ系などの若年層全般から、ガチムチ系や野郎系までを網羅しており、『G-men』など他誌がターゲットを絞っているのに比べ、総合誌の色彩が強い。 2019年1月発売号をもって休刊。 https://ja.wikipedia.org/wiki/Badi

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