
認められないといけないという洗脳
どもども^o^しまさきです。
ブッキングライブでは、他に仕事をしながら人前で歌っている方々とご一緒する事もあり
みんな、その行為そのものが大切なのだろうなと私は感じてます。
わたしも、というか、わたしはそうです。
誰にも頼まれてないし社会の役に立ってるとは思えないけど、やってる時間がたのしいのよな^o^
わたしは、「良いものできたー!」の喜びの後に「きいてー!」が湧いてくるタイプで
作れた喜びを1人で味わう時間がまずあって
何回も聴き返してブラッシュアップしたくなる自分がいて
その後に、
何回聴いても良いぞ^o^
という謎の確信に至ると、
きいてー!
となる。
聴き手の反応はまちまちでも、
聴いてくれて有難う!
て感じです。
その日はAさんに届かなくても Bさんには届いた とか、
実はAさんにも響いてたことが後日わかる事もあるし、
この曲はCさんに届いて、あの曲はDさんには届かなかったとか
その価値は短期間で決まるものではないです
少なくとも、
発表する前段階でわたしにはちゃんと届いてるから、わたしはそれで、まずは満足なのだと思う。
大勢に届けたいから数を打ち続けてるけど、
数を打てば打つほど、受け入れてもらえなかった、という傷も絶対数として増える
現状の経験データとしては、
素直に歌った上での傷はすぐ治ります。
いずれもちゃんと手当すれば治ります。