感染がわかった日

大学を卒業して新卒として社会人生活を始めた年の初夏、僕は突然に39.0度の熱が出た。その熱が続く一月の間、僕はいくつかの小さな病院に行っていたが、原因はわからなかった。小さな病院では点滴を三回やった。病院の先生は3回点滴をして良くならないのはおかしいと大きな病院に行くことを勧めてくれた。

それで大きな病院に行った。

そこで血液検査をしてみると医師に呼ばれて「内臓の数値で悪くなっているものはないです。ですが、HIVの陽性反応があります」と言われた。

その病院は地方の中では大きな病院だったが、HIVというのは珍しいようだった。「どのように対応すればいいのかわからない」という表情で僕の顔を見て、少し震える声で僕がHIVに感染していることを告げた。

ありふれた表現だけれど、本当に、頭が真っ白になるんですね。全身から力が抜けたのを感じました。左の二の腕を掴んでいた右手がすとんと太ももに落ちてしまいました。顔だけはなんとか医師を見ることができました。

「間違いじゃないんですか?」

と聞いたのを覚えています。

「今回はスクリーニング検査なので、仮の結果です。これから、専門的な調査をします。1週間くらいで本格的な結果がでます」と言われた。

病室に戻ってから、不安でしかたがなかった。もうセックスはできないし、愛されることもなくなるような病気にかかってしまった……? そんなことを考えてしまった。自然と泣いてしまって、手に持つスマホで「HIV 感染」とか「HIV 検査 結果」とかを検索しまくった。

その中のブログやサイトから「スクリーニング検査でHIV陽性と出ても本当に陽性であるわけではなく、もしかすると本検査をしてみると陰性であることもある」ということがわかった。

その言葉にすがって、不安な気持ちがよぎった時はその言葉を思い出して、その言葉が書かれているサイトを見る。そうやって1週間を過ごした。


1週間後、結果が出た。陽性。


自分が陽性だとわかっていた気がします。

そんなに不特定多数の人とセックスしていたわけではないと思います。経験人数で言えば片手で数え切れるほどで、その人たちと感染リスクの高いセックスをしたのも片手で数え切れる程でした。

それでも感染してしまいました。

本当は、相手となった人たちに伝えた方が良かったのかもしれません。でも僕は、その人たちに伝えることはできませんでした。

あのとき、感染がわかったあの日が、HIVになった時に一番苦しかったときです。今でも、あの時の苦しみを思い出すことがあります。

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