名作と呼ばれるもの 。
名作と呼ばれる要素の一つには、”長い期間 消費される” ことがあげられる。
”長い期間 消費される”には、時代を超えて、世代を超えて響くものがあるということだろう。
同じ人でも、歳を経て体験すると感じ方が異なる。
時代が違っても、同様の年代であれば体験が同じである。
それは、つまり
本質的なメッセージが作品のあちらこちらにちりばめられているということだと思う。
だからこそ、メッセージは普遍性を持つ。
生きた環境が異なっていても同じく共感できる点があるし、
体験するたびに異なる点で感動を呼びおこす。
そういう意味で、Lion Kingは私にとって名作であった。
幼少期から小学生にかけて、Lion Kingの体験はDisneyのビデオを通してであった。
嘘をつかないこと、ハクナマタタ(気にしない)こと、悪は滅びること。
そんなことを幼き心に刻み込んでいた。
多くの子供用作品と同じく、勧善懲悪、真面目で、愛に囲まれた主人公に憧れるのであった。
24歳になり劇団四季によるLion Kingを体験した。
それこそ、スカーの気持ちも分かるようになったし、ハクナマタタが
ある意味反面教師な教訓として描かれているのも分かったし、ハイエナを通してチームマネジメントの重要性もある程度理解した。
そんな中でも一番心にしみいったのは、
後半シンバが、水に映し出された父ムファサと対話する場面である。
結論から言えば、”己と向き合う姿”という描写に気づき、感動した。
幼少期は、魔術によって”父親と対面する機会”が得られて、おいこらと叱咤激励されていると思っていた。
今回初めて、改めて己の心に向き合い、己の心の声を聞き、自らの中で答えが出ている問題に対して心を固めている行動なのだと認識した。
あくまでムファサの顔は、己の心内を映し出している鏡に過ぎないのだろう。
己が己を一番知っている。
答えは自分自身で出してる。
向き合うのか、気づかないふりをしているのか、その差なのだろう。
また次見る時には別の本質に気づくのかもしれない。