「21.2世紀の忘備録」
創設にあたって
軽く「垢作った」で済むような時代に創設と言うのは何とも大袈裟というか、実に加齢臭漂う表現ではありますが、何か始める時にはこんな感じで書いておきたい性分なものですから、ご容赦ください。
そういえば、何か最近こういうタイプの新しいサービスに登録していないなぁと思ったので、とりあえず始めてみるか~って感じです。
忘備録とは言いつつも要するに長回しの独り言、怪文書日記なので、一応はテキスト主体でいくものと思料。
先に独り言と申し上げましたが、ここは文書なので独り書きとしましょう。わたしが個人的に「独り書き」を書き留め(溜め)ておく所は、古くはそれこそ紙の日記帳でしたが、それがテキストファイルとなって電子化し、そのうちWeblog(ブログ)が登場し、更に十年程前からはミニブログたるツイッターにその役割を求める形となったわけです。
さてツイッターです。機能を実装した人には後悔されているという忌み子のリツイート(RT)という素晴らしい機能がございます。
非公式リツイートとか言ったらオッサンがバレてしまいます。バレますよ。バレましたから。
さあ今日(こんにち)のツイッター、日々バズりが流れてきます。自分含むどこかの無名の誰かが大昔から言い続けてきたような内容を、フォロワー数八百万の有名人様がたが書きますと、そのフォロワー様達がさも、その有名人様が今世界で初めてお考えになられたかのように、さすが○○様ステキ!みたいに言ってRTし拡散しまくるわけです。
これが茶番でなくて何だと言うんです!ああいや失礼!なんか文句みたいになっちゃった。タダで使わせてもらっておいて文句言うとかとんでもない!文句を言っているんじゃないのです。わたしは不満を言っているだけです!(綾小路ほにゃらら)
いや、わたしは別に主張だとか考え方、何かの方法について起源主張がしたいわけでもないですし、有名人様やそのフォロワー様達がそれをパクって起源主張をしているなんて欠片も思っておりません。
ただ何とも微妙な気持ちにはなります。今は「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」の方が重要視される時代なのかな、とかね。まあ、豆知識や裏技の類であれば「拡散力のある人に広めて貰えてむしろ嬉しい」って考え方もできるのかもしれません。
でもそれが主義主張、思考方法の類になってくると人間なかなか面倒で、例えば「こうすれば、こう考えたらうまくいくんじゃない?」って感じの、独り言ながらも不特定多数(フォロワーだとか)に対して「発信」という側面のある形を取っていたが軽くスルーされた物事と同じような内容が、とあるインフルエンサー様によって拡散され、称賛され、脚光を浴びているのを目の当たりにしたら、どんな気持ちになるでしょうか。
じゃあ自分は居なくてもよかったのかな、最初から居ても居なくても同じなのかな……?もぅマヂ無理。マリカしょ……となってしまわないですか?みんながそうだとまでは言いませんが、そんな風に感じる事のある人はわたし以外にも結構居るんじゃないかな?と思料。居ないならわたしがオリジナルだやったぜ!
長くなりましたが、要するに十年間でユーザ層、機能、用途が随分変わってしまって、昔は無かった問題が出てきたので、新たに独り言垂れ流しまとめツールとして、こちらのnoteはちょうどよいのではないかと思い、始めてみた次第です。
ツイッター自体は今後も使いますし、独り言の再放送もすると思いますが「まとめて、溜めておく」為にこちらのサービスを利用させて頂きたく。
ここからは概ねツイッターにも書いた内容となりますが、ツイッターを発信ツールとして使用できる人は居るけれども、それは全ての人には当てはまらないし、あなたに当てはまるとは限らないのです。
そのような使い方ができている人が大勢居るように見えるのは一種の生存者バイアスで、それは工夫だとか努力によって必ずしもどうこうできるものではありません。
ツイッターがSNSと違う所は、先述の通り元々はミニブログ、基本的にテキスト主体の独り言ツールであったという事で、公式RTも「いいね」も無く、ふぁぼだけがあり、画像投稿機能も外部サービスを経由する必要がありました。だからある意味では、そういった初期から続いていたツイッターというサービスは既に終了していて、今やSNSやバイラルメディアとしての新サービスにそっくりそのまま入れ替わってしまったという事なのかもしれません。初期からのユーザが感じる居心地の悪さだとか不平不満の多くは、そういった部分に起因しているのではないでしょうか。
そこで大切な事は、例え誰も読まなくても、どこにも伝える事ができなくても、あなたはそこに居るし、わたしもここに居るのだという事です。
大衆に認知され、脚光を浴びる事が無価値だとは決して思いませんが、それよりも遥かに多いであろう、認知されず、埋もれ、淘汰され、消えてゆくものが無価値かと言えば、そういうわけでもないのです。認知されず、埋もれ、淘汰され、消えてゆくものが無価値かと言えば、そういうわけでもないのです。画面の向こうには機械も居るけれども、多くの場合、相手にするのは生身の人間なのです。
あなたと同じ、端末でもデジタルデータでもなく、たしかにあなたと同じ、端末でもデジタルデータでもなく、たしかに一人の人間なのですよ。我思う、故に我在り。なのですよ。我思う、故に我在り。
スマートフォンやアカウントに「自分」を乗っ取られないように、気を付けよう。窓を開けて、空を見たりしよう。
快晴の日も、雨の日も、雪の日も、満天の星空も、雷雨の夜も、同じ日は一度として来ないのだから。
とか言いつつ今まさに新しいサービスに登録し新たなアカウントを作成した事については、見なかった事にしよう☆
つかツイッター言い過ぎだよ!他所のサービスで何やってんの!
よろしくnote!ドレッドノート!アルゴノート!レッツノート!タフブック!!
……失礼。
独り言は己との対話、独り書きは己へのメッセージ。クラシックでレガシーな日記帳の世界。
何より、こうやって独り言を書き連ねるのはとても気持ちが良いのです。
卑屈になって憎まれ口を叩いたり、不貞腐れた態度で周りにマイナスの感情を撒き散らすよりもずっと。
独り善がりでしょしぐたて(見っともなくたって)それがわたしなんです。
ちなみに傍から見ると滅茶苦茶気持ち悪いです。
気持ち悪いのが気持ちいい(最悪)
自己すら救えない者に、他己を救えるわけがない
あなた自身が、あなたの救いになるのだ。
先ず自分を、自分の世界を、自分で救うのだ。そこから始まる。きっと面白くなる。好奇心は大きな原動力だ。
だって、何かに興味を持って、それに一所懸命に打ち込み、沢山悩んで、汗や涙を流せるという事は、とても有難くて、幸せな事なのだから。
今日もあなたの幸運を祈っています。
かしこ