三角柱の残る一面
『幸せになる勇気』にある三角柱の話。
三角柱の持つ3つの面。
そのひとつには、
悪いあの人
もうひとつには、
かわいそうなわたし
では、残された最後の面には、何と書かれているでしょう?
「心の三角柱」残された面には
一つの世界、複数の見方
この三角柱の話は、突然出てきたものではありません。
哲人は、「過去などない」という。
青年は、過去がないなんてのはめちゃくちゃな暴論だと噛みつく。
たとえば歴史。
私たちが学校で学ぶ歴史は、過去である。
しかし、哲人は、歴史も含め、過去というのは、「現在」という視座から作り上げた、単なる「物語り」に過ぎないのだ、と。
その証拠として、哲人は、あるカウンセリングの事例を紹介する。
ある男性が子どもの頃、犬に噛まれた。当時は野犬などがいっぱいいて、母親から、野犬に遭ったら、急に逃げ出したりしたらかえって危険だと教えられていた、と。
そして、男性(その当時は少年)は、ある日友達と遊んでいるとき、野犬に遭遇してしまう。
友達は逃げ、少年は親に言いつけられた通り、その場にじっとしていた。
ところが、彼は野犬に足を噛まれてしまったのです。
噛まれたのは事実でしょう。
だけど、この話には、本来「つづき」があったはずだ。野犬に噛まれたその後の話が。
その男性がカウンセリングの回を重ねるうちに思い出した、「つづき」の物語とは、「犬に噛まれてうずくまっていたところ、自転車で通りかかった男性が彼を助け起こし、そのまま病院まで連れて行ってくれた」というものでした。
野犬に噛まれたという「事実」「できごと」は一つながら、光の当て方で、物語はまったく「逆の意味」を持つという事例です。
・親の言う通りしたのに、犬に噛まれた!「なんて絶望的な世界だろう!」
・犬に噛まれてうずくまっていたら、見知らぬ人に助けられた!「ああ、なんて優しい世界なんだ!」
三角形の最後の一面には何と書かれていたか?
三角形は、「わたしたちの心」を表しています。
ひとつの面には「悪いあの人」
もう一つの面には「かわいそうなわたし」
そして最後の一面には、
これからどうするか
と書かれています。
青年は、「しかし、もしもわたしの"これから"を真剣に考えるというのなら、まずは前提となる"これまで"を知っていただく必要があるでしょう!」と食い下がります。
しかし、それに対しても哲人は、あなたはいま、私の目の前にいる。だから目の前にいる「あなた」を知れば十分だと、却下します。
なおも食い下がろうとする青年に、最後、哲人はこう諭します。
人の話を聞いてイライラするときって
昔、親友と絶交したことがある。
数年連絡を取らなかった。
それは、愚痴を聞いても聞いても、何も進まない、何も解決しないということを、次第に悟ってきたからだった。
というか、自分が愚痴を聞くことで、「ガス抜き」になって、また同じような失敗を繰り返しいて戻ってくる、そんな繰り返しに嫌気がさした。
私が当時、この三角柱を知っていれば、絶交しなくて済んだのかもしれないと思った。
これからどうするか
もしまた同じことが起こったときに備えて、私は今日、三角柱を作っておこうと思う。
それにしても、餅は餅屋だ。
心理カウンセラーって、すごい。
とりあえず、今から三角柱、作ってくる。
アデュー!