地球を背負わないこと。
わたしは、満員電車には乗らないし、自分の好きなことを仕事にしているけど、
していることが、とても多い気がする。
わたしの父方の実家は農家で、家の周りは田んぼと畑ばかりなのに、誰も農業を継がなくなって、若い人が減り、小学生は今一人しかいない。
わたしが卒業した小学校は、あんなにたくさん生徒がいたと思ったのに、数年後には統廃合されてしまうことが決まっているという。
母方は漁村にあって、母の従弟たちは漁師さんだったのだけど、わたしのはとこたちは、東京に行ってしまっているそうだ。
正月に帰省した時、小学校のことを知って、それから何度もそのことを反芻してしまっている。
世界の未来を、すごく怖がっている自分がいる。
自分には、どうすることもできないのに。
「食べるものがなくなったらどうしよう?」
これまでは、伯父さんたちがくれた、魚がカニが、お米が手に入らなくなったらと、自分のことを心配している。
みんなが幸せでいてくれたら、わたしも安心していられる気がするけど、誰も幸せそうにも、安心しているようにも見えなくて、とても怖くなる。
だけど、そういうとき、不安になるんじゃなくて、今もっているもの、使えるもの、できることを、見つめていこうと思う。
その中で、自分にできるベストを尽くそうと思う。
また、同時に、自分の不幸を他人におっかぶせることだけは、すまいと思う。
それでいて、人の手をどんどん借りていこうと思う。
『人様に迷惑をかけてはいけない』
という言葉は呪いだ。
人に迷惑をかけてもいい。
その分人助けしよう。
人に助けられることを、いたずらに恐れたりしない。
『人様に迷惑をかけてはいけない』という考え方は、「信用収縮」にとてもよく似てる。
人を信じたり、人に信用されたりすることで、人を頼ることができて、人に頼られることもできるようになる。
信用拡大する方向で、生きていこうと思う。自分なりに。
そして、何より、人に話す言葉、こうして書く言葉は、人を明るい気持ちにさせるように。
事実は事実として書くけど、最後は必ず可能性を探し出して、明るく締めくくる。
その心掛けが、人をいたずらに不安にさせない。
いつも太陽に向かって歩く。
過去の人たちが、そうしてきたように私も。