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「写るんです」”無限”と”待つ” 2021/11/22の日記
曇り空の月曜日、ガールフレンドと日比谷公園を散歩した。灰色の景色に、頭上はイチョウの黄色が、足元には落ち葉が湿ったアスファルトに張り付き、彩を与えている。
彼女が肩にかけたトートバッグから、「写るんです」を取り出した。「ドンキで買ってきた」となぜか照れ笑いを浮かべる彼女の表情を見て、ぼくも思わず微笑んだ。
お互いに数枚を撮影し合い、自撮りにも挑戦した。撮影できるのは、27枚。しかも、撮影した写真をすぐに確認できない。スマホに慣れ切った現代人からすれば不便極まりないようだけれど、その2つの要素が僕らの気持ちを盛り上げているような気がした。
現代は無限で、瞬間的だ。
写真を撮るにしても、メモリーの心配をすることはほとんどないし、すぐに撮影した写真を見ることができる。僕らは無限の可能性の中で、待つことを忘れている。
無限の可能性。聞こえは良いけれど、そこに右往左往していないか。何だってできる、ということは選択肢が多いと同時に、人を迷わせる。限られた中で幸せになることは可能なのに。
待つこと。非効率で「悪」として語られがちだけど、本当にそうだろうか?「待つ」という言葉には色々な意味が込められているように思う。思いを馳せる時間であったり、ワクワクだったり、僕らは表面的なモノしか捉えられていない。
「写るんです」によって、現代社会の当たり前の価値観を考え直す契機となった。僕らはアナログなものを心のどこかで求めているのだ。