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コーンスープ缶の底に残った数粒に思いを馳せて… 2021/11/6の日記

 夕暮れ時の午後5時、小腹が空いた僕は歩いてコンビニへ向かう。今年の冬至は12月22日。もう十分、日が落ちるのは早い気がする。秋の夜長とは言うけれど、個人的に日が短いと損をしているような気がしてあまり好きじゃない。

 コンビニに着くと、真っ先にあったか〜い飲み物が並ぶ棚が目についた。整然と並べられた飲み物たちは、今日の売れ行きを物語っているような気がした。そのなかで、1つ『コーンポタージュ』だけは燦然と輝いているような気がした。

 プルタブを引っ張り、一口飲んで思い出されるのは、少年野球チーム時代だった。練習後、母からお金をもらい、近くの自販機でコーンポタージュを買う。缶の温かさが、1日中外にいた冷たい手をほぐしていく。濃厚な味が口に広がり、のどをドロリと通ってお腹を満たしてくれる。空腹に非常に効くのだ。

 飲み終えた後、缶の底にコーンが残ってしまうのも変わらない。僕は必死に飲み口に口をつけ、缶をひっくり返して底を叩く。それでも、出てきたのは数粒だった。缶の側面には、コーンを残さない飲み方なるものが説明されていたが、あまり効果はなかった。必死にコーンを貪る僕の姿は、周囲から完全に異様な存在だっただろう。

近くて遠い存在

 それが缶の底で眠るコーンだ。コーンを貪る僕の耳にとある曲が流れ始める。それは、ナユタン星人の『惑星ループ』。

触れられないのに見えてしまって
どうしようもないや
近くて遠いあなただ
分かってるよ

 この曲は宇宙を舞台にした、もしくはそれが比喩になっているラブソング。初音ミクの声質が、人間離れした世界観に似合っていて僕は好きだ。

 「何光年」という想像を絶する距離の間で恋をした僕は、ただただその子のことに想いを馳せる。馳せるだけで終わっていく。この曲は、耐えられないほどの想いを歌いながら、最後は「そこに大体愛があるだけ」と言って終わっていく。それが儚く、また、「1人の思い上がりでしかない」という片思いの本質を編み込んでいる気がする。近いけど、実際には遠い。

 そんな片思いの本質を、僕はコーンとの距離感に見た気がした。

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