【エッセイ】貯めたお金でこんな国から出ていく話
#エッセイ #退職後 #カナダ #人生のハイライト #人生一回だし #自由とは本当に素晴らしい #ホンダの400 #ロスジェネですがなにか
日本脱出前の助走期間
「よっッしゃー!」
1998年秋。
仕事を辞め自由に使える時間とお金を手にした私はこれから迎える人生のハイライトに思いを馳せていた。
(思い出すだけでくじけそうな地獄の運送業を無事円満退職した話 ↓)
退職して数日が経ち、これまでの激務の日々から解放された私は、たっぷりと休息を取り気力も体力も回復していた。
さぁ、これからどう時間を使おうか。
日本脱出前の助走期間である。
パスポートが出来てくるまではしばらく自由時間だ。
時間が出来たらやってみたかった事リストを実行しよう、ということでまずしたことがバイクにテントを積んで一人でロングツーリングに行く事だった。
とりあえず西に行くか。
私は目的地も決めず気ままな旅に出発した。
夕日を追いかけ今日は海辺にテントを張るか、明日は秘境の温泉宿に泊まるか、とバイクでの一人旅はとても身軽で自由だ。
どこに行ってもいいし、無理に移動せず数日間滞在しても良い。
行く先々で気の向くままに釣り糸を垂らしちゃったりなんかしていい感じだ。
「ここ、隣で釣っても大丈夫ですか」
「ああ、だんない。ん?どっから来よん」
「東京からです。バイク旅の途中っす」
正確には埼玉からなのだが、なぜか埼玉県人は東京から来たと見栄を張る癖があるのだ。
「そらえらいなー。何がでっきょんな」
「ん?でっきょん??何か釣れてますか?」
「あ?何も釣れんでじょんならん。ガハハ」
「はは。ガハハハ・・・」
行けるところまで行ってみるかと気ままな一人旅は四国まで来ていた。
釣りをするお爺ちゃんの訛りが強い。
釣果によらず釣り人はどこでもこんな感じで楽しそうだ。
一生しあわせになりたければ釣りを覚えなさい、とはなるほどよく言ったものだ。
埼玉を出てから東海、近畿、四国、九州まで足を伸ばした。
鹿児島の最南端、佐多岬まで辿り着く頃には2500キロ以上走っていた。
帰路は九州から中国地方を抜け北陸、信州を経由した。
もう走った距離などどうでもよかった。
ただ日本は本当に美しかった。
思えばこんな風に自分の為に時間を使ったことが今まであっただろうか。
過ごし方もだが自分と向き合う時間の長さが初めての感覚だった。
このツーリングを経て私は、意外と人生あっという間かもな、とぼんやり感じていた。
ポテチとコーラのあいつら
「それで?仕事辞めてこの後どうするの」
「まずカナダ行くんだよね。やっぱ、やりたい事やんなきゃな」
地元の仲間たちと飲みながらそんな話をする。
オジサンチームでサッカーの試合をした日曜夕方の居酒屋での一幕である。
仲間たち、とは当時の『ポテチとコーラ』のあいつらだ。↓
みんなそれぞれの道で苦労しながら生きていた。
大工になった者。
フリーターになった者。
就職が決まらず大学院に進学した者。
結婚して家業の配管工を継いでいる者。
非正規労働者として工場で働いている者。
消防士になったがすぐ退職して求職中の者。
自分で古着屋を始めた者。
などなど様々だ。
「はあー、カナダか。お前は自由でいいねぇ」
「おう。でも人生一回だからさ。俺、サラリーマンとか満員電車とか向いてないし」
「いや、だーかーらー。カナダ行ってその後どうするのかって聞いてんの」
「まあ、行きたいところに行ってやりたい事やるよ。その後の事なんか知らないよ」
「知らないったって、それじゃダメじゃん。だからお前は昔からダメなんだよ。教育実習も自分の弟のクラスだったらしいな。ははッ、ウケる。先生から聞いたぞ」↓
「うるせーな。それは関係ねーだろ。マスター、生おかわりちょうだい」
「あいよ!」
地元の仲間たちとはいつもバカ話だ。
昔から話に中身は無いが飲んでしゃべって安心する。
それぞれの近況を聞きながら色々な人生があるのだと思った。
やはり平均的な生き方なんてないのだ。
かくいう私の、お金を貯め仕事を辞めて海外に行こうとする生き方も彼らには破天荒に映るのだろう。
ナーバス★タラちゃん
話が脱線したが、日本脱出前の過ごし方だ。
他に、時間が出来たらやっておきたい事はなかったか。
そうだ、バイクの免許の限定解除だ。
これを機に大型バイクを乗れるようにしておこう、と免許を取りに行ったりもした。
また、今のうちに気になっていた本を読み倒しておこうと図書館に通いつめたりもした。
しばらく会ってなかった高校時代の仲間にも会っておくか、いや今描いている絵を完成させてからにするか、などと日々気の向くままに過ごしていた。
自由とは本当に素晴らしい。
本当に自由とは素晴らしいのだ。
そしてパスポートの準備も済んで旅立ちの時が近づいてきた。
日本を出るのは初めてのことだった。
いよいよ私は発射台に乗るのだ。
燃料は満タンだ。
出発の日、両親に車で成田空港まで送ってもらった。
道中、様々な思いが胸をよぎる。
「ところでお前、何処の国行くんだっけ。ハワイでゴルフか」
と父が聞いてくる。
「いや、今回はとりあえずカナダで一冬中、滑りまくってくる。ハワイはまた今度かな」
母は何か荷物を確認している。
「コレ、向こうのホームステイ先のお母さんに日本のお土産買っといたから渡して」
私は母からお土産を受けとった。
中を見ると漢字の手ぬぐいやら箸やら扇子などと一緒にサザエさんの英訳コミックが入っていた。
「何がいいか悩んだんだけど、日本の家庭の文化が伝わると思ってサザエさんの漫画ね」
「あーなるほど、いいね」
少しパラパラとめくって見てみるとタラちゃんの吹き出しに
「Hi,Im TARAO.」と書かれていた。
本来なら「ハーイ。ぼく、タラちゃんですぅ~」なのだがニュアンスまでは伝わらないだろうな、と思った。
心なしかそのタラちゃんの表情も少しナーバスに見えたのは気のせいだったのだろうか。
私の中の緊張感がそう見せたのかも知れない。
渋滞の外環を抜け京葉道路から東関東道に入ってからは順調に流れ出し、概ね時間通りに成田空港に到着した。
国際線ターミナルの車寄せで降ろしてもらう。
「ありがとね。じゃあ行ってくる」
「おう、達者でな」
そこで父と握手をして両親と別れた。
父親との握手はいつも力強くて驚く。
湿っぽく見送るでもなくすぐに車を発進させ帰っていった。
私は、大きな荷物をひきずって出国搭乗手続きを済ませる。
成田空港の中は既に外国の匂いがしてくるようだ。
1998年12月。
私はついに日本からの脱出を果たした。
さぁ、いこう。
未来へと歩き出せ。
人生のハイライトに向かっている気がした。
人生のハイライトの舞台 ↓