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【エッセイ】カナダ★バンフでのスノーライフ
#エッセイ #カナダ #バンフ #ミレニアムカウントダウン #サンシャインビレッジ #レイクルイーズ
月~金の9時-17時で滑りまくる日々
1999年12月。
いよいよカナダで2回目のスノーシーズンが来た。
(1回目のシーズンの様子 ↓ )
私たちが住んでいたバンフという町は極寒ながら内陸性気候のため降雪はそれほど多くはなかった。
この町からサンシャインビレッジというスキーリゾートまではバスで約20分の移動だ。ここがシーズンパスを買った一つ目のスキー場である。
ここの売りは100%天然雪でサイズ感も雪質もロケーションも最高だった。
私たちはこのスキー場の平日シーズンパスを買った。
土日は滑れないがその分安いのだ。
平日しか滑れないスノーバムのためのパスでありシーズン通しての稼働率と平準化を意識したスキー場側の戦略でもあった。
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シーズンパスを買ったもう一つのスキー場がレイクルイーズというスキーリゾートである。こちらは町からバスで四十分の移動を要する。
こちらは、よりカナダらしい『ザ・カナディアンスノーリゾート』の風格にふさわしいスキー場だった。
スキー場エリアも非常にラグジュアリーでゆったりとした余裕を感じた。
![](https://assets.st-note.com/img/1733731487-RGkHXo1Q2cv4KAUJFbhPCVLs.png?width=1200)
私と彼女はこの二つのスキー場を一冬かけて滑り倒した。平日の9時から17時まで毎日お弁当を持ってストイックに滑りに行った。
どちらも相対的にウィスラー滞在の時より混雑していなかったので心にゆとりを持ってスノーバムライフを満喫することができた。
ミレニアムのカウントダウン@バンフ
雪の量や質はハッキリ言って昨冬のウィスラーの方がよかったのだが、その分自然とバンフでの町の暮らしを満喫することができた。
例のお化けハウスの契約が切れる前に、私たちは次なる住処を探す必要があった。
(お化けハウスエピソード ↓ )
私と彼女は平日のスキー場に足繁く通っていたおかげで知り合いも増えていた。そうした知人たちを通じて運よくシェアハウスに引っ越すことが出来た。
そのシェアハウスは『ボロ家』と呼ばれていた。名前の通り建物は古くてボロいが若者たち6~8人が暮らせる間取りの家で常に満室の人気物件だ。住民以外も集まってくるいつも騒がしい家だった。
「ねえねえ、年越しのカウントダウンだけどハードロックカフェの前あたりで盛り上がるらしいよ!あとでみんなで行かない?」
「あーそうだね今年はミレニアムカウントダウンだからみんなで行かないとね」
「冷蔵庫にまだビールあったっけ」
「クアーズならまだあるよ。あ、私のコカニー誰か飲んだでしょ!」
「まあまあ、ミレニアムだから大らかにね!」
「それミレニアム関係なくない?」
「ねえ、髪切ってもらって言うのもなんだけどちょっと失敗してるよねコレ」
「あれ、分かっちゃった?酔っ払いながら切るとやっぱり手元が狂うよねー。でもすぐ伸びると思うよ。それにいつも帽子かぶってるから大丈夫でしょ。まあ、大らかに行こうよミレニアムだし」
「そうかミレニアムだし、まあいっか!俺も酔っぱらった時に冷蔵庫の誰かのコカニー飲んじゃったけどゴメンなさい!さあカウントダウンだ、張り切って行こう」
私たちは2000年1月1日になる瞬間、つまりミレニアムカウントダウンを極寒のバンフの町の空の下で迎えた。
1975年に生まれた私と彼女が25歳になる年だった。
人生の先の見通しは全くなかったが二人ともまだまだ旅を続けたいつもりでいた。
安定した仕事も収入もなかったが心は自由と希望に満ちていた。
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いよいよバンフスノーバムライフ真骨頂 ↓