【エッセイ】観光審議会★まちづくりの話
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居眠りしない会議の進め方
「会長、この原稿通りに議事進行していただければ大丈夫ですので」
会議が始まる前、役場職員の担当者の方に言われて私は頷いた。
「それではお手元の資料の議題①について事務局より説明頂きます。その後お集まりの12名の委員の皆様一人ひとりからご意見頂戴いたしますので、それぞれしゃべる内容を少し考えながらお聞きくださいますようよろしくお願いします。」
私は担当者から渡された原稿の棒読みはせず、自分なりにアレンジして出席者が会議で居眠りしないように委員の皆様にジャブを打ったのだった。
私が住む北海道にある人口5000人の町の観光審議会での一幕である。
この町は住民自治のまちづくりを標榜しており、まちづくりの基本方針に「情報共有」と「住民参加」を掲げ「自ら考え行動する住民主体のまちづくり」を実践している。
よくある立派な理念を並べただけのスローガンではなく、これまでの実績がこの町のブランディングとなり住民満足度を高め、移住者を呼び込み、この人口減少時代において人口微増を実現しているのである。
特筆すべきは年少人口の増加率だ。この10年で15歳未満の人口の増加率が全道一位で子育て世代の教育移住が増加しているのだ。
2024年11月。
私は町役場の会議テーブルのお誕生日席に位置する椅子に座らされていた。
ー それにしても、なんでアウトドア会社の俺が会長なんだよ・・・。
私は数年前からこの観光審議会の会長を仰せつかっていた。
全く以って身に余る大役なのだが成り行きで引き受けた公職の充て職なのでしょうがない。
本当はイチ委員として自由に意見を述べたいところだ。
しかし議事進行を司る会長という立場ゆえ、委員の皆様からのご意見を引き出しつつ議題の内容について有意義な着地点を導き出すミッションがある。
今回の会議の議題は二つ。
「観光振興ビジョンのフォローアップについて」と「宿泊税の使途について」というものだ。
ひとつ目の議題はこの町が2028年までに掲げた観光振興ビジョンについての進捗をチェックするための目的がある。
数年前に定めた観光振興計画であるが、コロナ禍を経て状況が変わったことを受け数値的な訂正やそもそもの目指すゴールに変化が必要なら大胆に変えていく必要がある。
ふたつ目の議題は事務局が示した宿泊税の使い方について委員からの意見をいただき持続可能な観光地域を作っていこう、という内容になる。
ちなみに宿泊税の運用は今月の1日から始まっており、宿泊施設の支配人委員の発言によると利用客からの否定的な問い合わせもなく、またフロント現場での混乱もなくスムーズな徴税が始まっているとのことだった。
委員の顔ぶれは地域の名士からパウダースノーガイドのレジェンド、宿泊施設の支配人やスキー場の偉い人、飲食業や各観光事業者の方々、北大の教授、不動産業の方、一般町民からの公募委員、主婦の方に至るまで実に多様性に富んでいる。
そして委員の3割が女性委員という構成だ。
また、執行部側には町長、副町長、担当課長、参事、係長などフルメンバーが並んでいる。
通例の会議であれば議題について事務局より提案理由の説明を受け、「どなたか質問あればご意見どうぞ」と発言を促すのだがこれだとあまり有用な意見を引き出すことができない。
というか誰も手をあげないのがほとんどだ。
これが巷で「シャンシャン会議」と揶揄されるものである。
誰も発言しない会議は事務局原案通りのシナリオになるので「早く終わんないかなー」という残念な雰囲気になってしまうことが多い。
議事進行の原稿も丸読みしただけでは無味乾燥な時間が流れるだけだ。
そうなると事務局側にも出席委員側にも緊張感が生まれず会議自体が形骸化する。
そしてそういう会議がとても眠くなることは、もはや言うまでもない。
だが冒頭のように進行役の権限で発言の機会を全員に強制的に用意することで緊張感が生まれ「何かそれっぽいこと言わなくては」と誘導できるのである。
せめて私が議事進行を務める会議くらいMCとして活発な意見が出るようなムードを作りたい。
なぜなら委員の皆様も暇な訳ではなく、貴重な時間を割いて出席されているのだ。
会議における時間配分と成果と後味
「それではただ今事務局から説明があった点について順番にご意見を頂きたいと思います。まず〇〇委員お願いします」
そう促すと、こなれてきた各委員はとても前向きで良い意見を発言されることが多い。
「はい。この町が観光を通じて目指すまちづくりのあり方は、住んでいる人が豊かになることが肝心だと思います。やはり子供たちが観光の町で育った恩恵を感じられ、大きくなった時に誇りに思えるような観光施策を増やすべきだと思います。具体的に言うと・・・」
「ありがとうございます。私も教育と観光産業の結びつきは重要だと思いますので事務局は今後のアクションプランにこういった意見を反映していただきたいと思います。続いて△△委員、よろしくお願いします」
「宿泊税の使途なんですが、宿泊者が負担する制度になっているため観光に訪れた方に分かってもらえるような利便性の向上の広報が重要だと思います。一方でやはり観光で生きていく町の住民全体の幸福度が高まる施策の可視化が求められていくと思います。例えば・・・」
というような感じだ。
どの委員も発言の機会があると他の委員の手前、良き意見を出そうとする心理が働き結果的に議論に厚みと深まりが出る。
当然意見をメモする事務局側の手も必死に動く。
だが、議論が白熱しすぎると個々の発言時間が長くなり、予定した時間を超過してしまいがちだ。
ここでMCたる議事進行役の腕が試されるのだ。
本当の目的
「では残り30分で皆様から全体的なことに関する意見を頂戴し、まとめに入りたいと思います。それぞれ言いたいことの要点をしぼり、簡潔にまとめて時計をチラチラ見ていただきながら発言頂きたいと思います。それでは〇△委員からまた順番にご意見よろしくお願いします」
私は時間の事も伝え、尚且つそれぞれの思いの言論を封じることのないように注意しながら議事を進行した。
同時に事務局がこの会議の目的を果たせるように努めた。
ここで難しいのが時間通りに終わらせる事だけを前面に出すと不完全燃焼が起きてしまうという点だ。
飽くまで目的は議題の事務局原案に対し委員の皆様から意見をいただき、より良きまちづくりのための施策につながる成果を出すことである。
尚且つ予定されている制限時間の中で話し合い、よき議決に導き出す場の一体感が会議の成否を分ける。
このバランス良し悪しが会議後の後味につながる。
各委員が「まだ少し言い足りないな」と思ってもらえる余韻を少し残せれば成功である。
またこの会議に出て意見を言いたい、と思えないと今後の会議出席への足も遠のく。
つまらない会議は欠席したくなるのが人情である。
そして会議の本当の目的はお話しして満足することではなく、決まったことを執行部が議会承認を経て住民主体のまちづくりを実践していくことだ。
委員の皆様にこういったまちづくり系の会議出席を好きになってもらえると、自分たちのまちづくりに生きた意見を言える実感が生まれるのだ。
やがてその中の1人でも議事進行役をやってもいいかな、と思ってもらえる人が現れたなら私も晴れて後進に道を譲ることができるのだが。
5方よし
私はただ、このちいさな町でのんびり幸せに暮らしたいだけなのだ。
だがそれを叶えるためには、住民の当事者としてすべき役割があるのだろう。
晴耕雨読、犬のいねむりのごとく、気の向くままに過ごせるのはいつになることか。
観光を通じて『住んでよし、訪れてよし、環境によし、地域経済によし、教育によし』の5方よしのまちづくりを実現することがこの町の持続可能性につながるのだ。
いよいよこの町に本格的な冬が来る。
この町が一番輝く季節。