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【エッセイ】中学時代★青春中二病

#エッセイ #原付免許 #サッカーセレクション #中学生バイト

ポテチとコーラ

1989年冬、時代が変わった。
 
「新しい元号は平成であります」と、テレビで偉い人が額縁を掲げていた。
 
私は中学2年生になっていた。
我が家は隣町へ引越し、そのタイミングで6歳離れた長兄も家を出て一人暮らしを始めた。
環境が変わり私にも新しい友達ができた。 
 
「なぁ、今日お前の家で大丈夫か」
「ああ、いいよ。何か適当に食う物頼むな」
 
中学生の頃、友達同士で誰かの家をたまり場にして泊まるのが流行っていた。
特に何をするわけでもないのだが、流行の音楽を聴いたり夜更けまで語り合ったり、漫画を読んだり、ゲームをしたりして過ごしていた。

夜更かしのお供は毎度お馴染み、ポテチとコーラなどだ。

体に良いわけはないだろうが、食べて飲んで語り合って、その内疲れて雑魚寝する。
そんなことが楽しかった。家族では得られない刺激と安らぎ。
仲間達と同じ時間を共にしているだけで充実している気になれた。

学校で過ごした時間以上に記憶に残っているのは仲間達と過ごした校外での思い出だったかも知れない。
 
思春期は段々と世界が広がって色々な事に興味が出てくる年頃だ。
麻雀を覚えたり
ファッションや髪形について研究したり
バイクや車の話、
楽器やバンドをやっている奴の話、
サッカー部の監督のモノマネ、
気になる女子の噂。

ポテチとコーラで無限に語り合うことが出来た。
そうして何も考えずに中学2年生の終わりまではあっという間に時間が過ぎていった。

何のために高校へ行くのか

だがやがて3年生にもなると進路の事も気になりだす。
 
「なあ、高校のこととか何か考えてるか」
「まだ決めてない。したい事も特に無いし」
「まあなぁ。勉強もやる気出ねーなぁ」
「ほんと何のために高校行くんだろうな」
「そりゃ立派な大人になるためだろうね」
「はぁーあ。立派な大人?なんだそりゃ」
 
こんな仲間同士の不毛なやり取りが益々将来を不安にさせていったのかも知れない。

自分たちは優等生でも不良でもない普通のグループという自覚があった。
及第点だが秀でる才能も特にないという、一億総中流を目指す学校教育システムの平均値にいた。
 
「そうだな。このまま可もなく不可もない感じで何となく右へ倣えの人生なら普通の平均的な人になれるよな」

確かに漠然とそう思っていた節がある。
まだぎりぎりそんな風に思える時代にいたのだ。
 
普通に頑張って平均点を取っていればこれまで通り普通に進学して、就職して、サラリーマンになって、結婚して、二人くらいの子宝に恵まれて、家と車を買って、たまに家族でキャンプに行って、普通だけど平凡で平均的な人生が待っているはずだと盲目的に思っていたのだ。

だが、大人になった今なら分かる。
普通の平凡な幸せを手に入れるのが一番難しく、平均的な人生などどこにもないのだという事を。

残念ながらその真実をポテチとコーラの彼らに伝える術はない。

さりとてこうすれば立派な大人になって幸せになれるよ、という模範解答もまた持ち合わせてはいない。

何もなりたいものがない自分は何のために高校に行くのか。

進路の岐路にいた15歳の私が出した解は『サッカーをするため』という刹那的なものだった。
他にやりたいことも夢中になれるものも思い浮かばなかったのである。

その後、進学希望校のサッカー部のセレクションテストをパスし特待生として進学が決まった。
 
やりたいことをやるのが自分の生きる道なのだ、と言えば聞こえは良いが
やりたい事がその後の進路に結びつくほど人生は甘くない。

その事を高校に入ってすぐに身にしみて知ることとなるのだがその時はまだ何も知らずいい気になっていた。

中学3年生のあの頃が一番不安で無力だった。
早く人生を自分の力で自由に羽ばたいて生きてみたかった。

そして私は、その翼を手に入れる為に行動したのだった。

バイト先で学ぶ人生安泰

「いらっしゃいませー!」
「あれ、君随分と若いねえ。まだ中坊だろ。えらいねえ。現金でレギュラー満タンね」

部活も引退し進路が内定した秋頃から私は日々アルバイトに励んでいた。
ガソリンスタンドだ。
 
「レギュラー満タン入りまーす。灰皿とゴミはよろしいですか」

長兄が高校時代にお世話になったバイト先で特別に中学生ながら働かせてもらうことができたのだ。
いわゆる縁故採用という奴である。大らかな時代だった。
時給は何と500円。

業務内容は燃料給油と会計、現金会員カードの勧誘、窓ガラス拭き、洗車と拭き上げ、フロアマット洗浄、灰皿清掃、ワイパーブレード交換、バッテリ―液チェック、ウィンドウォッシャー液補充、タイヤ交換やオイル・エレメント交換の助手、空気圧のチェック等などだ。

水抜き添加剤注入キャンペーンの時には張り切って商品説明をしてお客様に勧める事もあった。

所長からの覚えもめでたかった。
中学生が元気に働くのでかわいがられていたのだと思う。
よく飯を食べに連れて行ってくれた。

「いいか、レギュラーと軽油は絶対間違えるなよ。それさえ間違わなければ人生安泰だ」と、所長はいつも言っていた。

平日は学校が終わった放課後、土日などは終日働かせてもらう日もあった。家から片道6kmを自転車で通っていた。
 
アルバイトの事はもちろん学校には内緒だった。
受験生がアルバイトなどけしからん、と言われるのが目に見えていたからだ。

中学生が働いているのだからバイト先の先輩やお客さんからはよく働く理由を聞かれた。
表向きには、早くから社会経験を積んで経済感覚を養いたいという事と、家計の足しにするためと答えていた。

だがそれは建前で本当の目的は原付免許の取得とバイクを買うためだった。
バイクの売買契約や保険の手続きは保護者の承認と保証が必要なのだ。
中学卒業までの間、手にした給与のすべては母に渡していた。

ロスジェネ世代の魂の叫び

中学校の授業と並行してアルバイトを続けていたが教室の中ではいつも上の空だった。

連立方程式や英単語の暗記よりも「仕事」のことや購入するバイクのこと、高校入学してからのバイクでの通学ルートのプランに想像を膨らませていた。

バイクを自分で買って自由に移動できる力を持つこと、すなわちそれが翼を手に入れることだと思っていた。

学校や先生や友だちにも内緒のプロジェクトだったので自分一人の世界に浸っていた。
  
―俺はお前らとは違う、俺には俺の進む道がある。

今自分で思い返しても少し勘違いした奴だったと思う。
これが世に言う中二病という奴だろう。

学校行事もやる気が出なかった。卒業までは消化試合も同然だ。
 
―もうほっといてくれ、俺の居場所はここじゃない。

いつも心の中でそんな風に思っていた。まるで尾崎豊の歌詞のようだ。
だが―。
 
卒業式の練習時期が近づいてきたある日の出来事である。
練習を仕切るメンバーを決めるホームルームのような時間があったのだがそこである級友が「先生、私たちまだ受験が控えているので進路が決定している人たち中心で決めて進めてください」と言ったのだ。

確かにクラスの中には進路決定組と未決定組のナーバスな空気が漂っていた時期だった。  
そして、あみだクジか何かの結果、私が仕切り役のメンバーの一人になってしまったのである。

あとはお決まりの青春エピソードだ。

卒業式で歌う歌の練習など真面目に取り組む雰囲気も作れないまま時間は流れ、その間にも進路が決まる者と決まらない者の明暗が不穏な空気を作り出し、それが消えぬまま卒業式当日を迎えたのだ。
 何とも言えない雰囲気だった。

ところが卒業式本番では互いに示し合せたわけでもないのに何故か全員が校歌や合唱曲を熱唱したのだ。

練習など一度もまともに参加しなかったあの不良グループも歌っていた。
気が付くとほとんどの卒業生が泣きながら歌っていた。
感動が会場を包み先生や保護者はもちろん、在校生の中にさえ泣いている者がいた。
 
理由は分からないが後になってこじつけるならば、あの涙の大合唱はこの虐げられしロスジェネ世代の行き場のない魂の叫びだったのではないかと思ってしまうのだ。

教室に帰ってからも何故か私も滂沱の涙がいつまでも止まらなかった。
あれほど涙が出たのはこの人生で後にも先にもあの時だけだ。

ーこれからは自分で考えて自立して生きていく。
そんな決意をした15歳の涙だったのだろうか。

翼を手に入れた日

そして私は4月の誕生日に、1人で電車とバスを乗り継ぎ東京の府中運転免許試験場に行った。

原付免許の学科試験を受け合格。無事に原付免許が交付されたのだ。
 
家では最高の誕生日プレゼントが私の帰りを待っていた。
ホンダの原付バイクだ。キーには翼のエンブレムがついている。
   
16になったあの日。
 
私はついに翼を手に入れたのだ。


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