【エッセイ】高校時代★青春サッカー魂
監督の言葉。真逆の心構え
1990年春。
高校に入学した丸刈りの私はサッカー部のグランドにいた。
今はさすがに違うだろうが、当時はこのサッカー部の伝統なのか1年生は全員丸刈りにさせられていたのだ。
「オラーっ。もっとライン見て上げろ―」
「周りみろ!スペース作れるぞー」
「引きつければ空くんだから運べるだろ!」
「下がりながら後ろから声かけてやれよ」
「一発でいくな!遅らせて時間作れ」
「見ながら戻れ!カウンター行けるぞ」
―な、なんだこれは。
私は初日の練習から先輩たちのプレーの迫力にビビっていた。
―レベルが違い過ぎる・・・。
体格の違い、熱量、チームの活気それらのすべてに完全に飲まれていた。
全員が足も速く、技術も気迫もすごい。
まるで大人のようだ。中学校までと全然ちがう。
―ヤバい、俺やっていけるかな。
そして数日後、最初の合宿の夜に監督から集められた私たち1年生はこれからの心得について伝えられたのだ。
―もうヘトヘトで早く寝たいのに。
―まあ、よくあるありがたいお言葉かな。
私は少しだけ面倒な気持ちでいた。
「いいか、君たちはサッカー特待生としてこの学校に来た。恐らく全員が希望を胸に高校サッカーに取り組むために入部してきたわけだ」
少し間をおいて全員の顔を見回して監督は言った。
「これからの心構えについて話しておきたいと思って集まってもらった訳だが、これから目一杯、誰よりも努力してプロを目指せるくらい上に行けるように頑張れよ、などと俺は決して言わない」
なにも言えない私たち1年生を見て監督は続けた。
「俺はいつも最初に新入部員に激励とは真逆のことを言うようにしている。サッカーなんかで食っていける奴なんて一つまみほどもいないんだ」
プロを目指す為の心構えとか普通言いそうなものだが全然違った。
最初に私たち1年生の気持ちを試してるのかと心の中では思っていた。
しかし、続く監督の話は私たちへの単純なエールなんかではなかった。
「仮にプロになれても常に競争とケガのリスクにさらされる世界だ。選手寿命の平均年齢も20代後半でそのあとの人生の方がよっぽど長い。だからサッカーで食べて行こうと思うな。違う職業に就くことを前提に考えながら、全力で取り組め」
先輩たちも同じ話をきいたのだろうか。
みんなあんなに上手いし士気も高いのに。
将来の進路の事はどう考えているのか気になった。
「俺は長く指導者をやっているがサッカーは高校3年間で燃え尽きることも大事なんだ。君たちの中の熱いサッカー魂を成仏させるためにこの3年間で一生分の汗を流すつもりで取り組んでほしい」
監督の言葉が私にはとても迫力のある言葉に聞こえた。
これまでの中学校の先生やテレビアニメの主人公たちからは決して聞かれない真実の言葉たちだ。
聞き慣れてきた彼らの言葉はそういえばいつも前向きで耳あたりの良い定番の台詞ばかりだった。
―努力した者が必ず報われる。
―最後まであきらめなければ夢は叶う。
―信じる気持ちが強い方が勝つ。
今聞いている監督の話はそんな話ではなかった。
特定の世界で勝ち上がり続けること、それを職業にして続けていく難しさ。監督は現実と根性論とは観念が違うことを強烈に私に植え付けた。
それまで私は、やりたいことを続けて職業にしていけたらいいな、などと漠然と思っていた。
私は監督の言葉を聞いて、現実はもっとリアルで残酷であることを恥ずかしながらその時初めて知った。
さらに続く監督の言葉には経験に裏打ちされた職業人としての具体性があった。
「サッカーを職業にしようなんて発想は本人ばかりじゃなく周りの家族にも大きな負担をかけるのだ。負担とはメンタル、フィジカル、コスト、と時間だ。つまり人間のすべてだ。」
私は、それまでコストなんて単語を聞いたことはなかった。
大人が使う言葉なんだろうか。
これまで楽しいから続けてきたサッカーが周りの人たちの存在があって成り立っている事に気付いた。
そして自分のことしか考えてなかった事に思い至った。
監督が私たち1年生を大人扱いしてきちんと真剣に話してくれているのが伝わってくる。
私もみんなも監督の言葉の迫力に押されて何も言葉を発せずにいた。
それまでは、それぞれの中学のチームでそれなりに鳴らして来て思い上がっている者もいた。
私もその1人だった。
今聞いているのはただの話ではない。
この監督の言葉は今後の人生にとっても大事な教訓なのかも知れない。
「うちのサッカー部も確かに才能のあるヤツも来るしプロになった者もいるが、それでも選手としてはせいぜい25歳くらいまでだ。残念ながらそのあとのキャリアサポートがこの業界にはまだ整備されていない」
折しも時代はJリーグが開幕される3年前の頃である。
今のように選手のセカンドキャリアサポートはもちろん、職業としてまだまだ熟してはいない状態であった。
「だから違う道で生きられるためにも勉強をしておかないとダメなんだ。好きなサッカーを続けるためには嫌いな勉強をする必要がある。俺が試合にスタメンで出すのは勉強で及第点を取れた奴だけだから覚えておけ。サッカーだけ優れていてもやりたくない事から逃げるような者をスタメンで使うことはしない。文武両道を果たせ」
―やりたいことを続けるにはやりたくない事でも結果を出す必要がある。
この言葉は私に刺さった。
監督のこの話を聞いて私はサッカー漬けになる高校生活に対する決意を固めた。
―この3年間でスタメン出場を続けるために勉強でも結果を出す。
―一蹴入魂、一生分の汗を流すつもりで自分の中のサッカー魂を成仏させる。・・・やってやる。
魂の成仏
そうして、私は大きなケガもなく3年間、何とか無事スタメン出場を果たし初志を貫徹した。
我がサッカー人生は一片の悔いもなく私の中のサッカー魂は成仏されたのだった。
もちろん赤点も一度もなかった。
それにしてもまあ、我ながらよく走ったと思う。
恐らく一生分ボールを追いかけただろう。
青春らしく勝利したら仲間たちと抱き合って喜び、敗北したら肩を叩き合い涙を流し悔しがった。
喉が枯れるほど声も出しまくった。
思いもぶつけ合いまくった。
小さな大会での優勝は何度かしたものの、ついに選手権で全国に行けるようなことはなかった。
だが、サッカーに青春を捧げ燃え尽きた充実感があった。
好きな事を気が済むまでやると本当に気が済むのだ、という事をこの時経験できた気がする。
熱中していることを気が済むまでやれないとその魂が成仏できずにきっといつまでも未練が残って気持ちが切り替わらないこともあるのだろう。
―なるほど。監督の言ったサッカー魂の成仏とはそういう事なのか
私たちの年代が卒業して数年後、この尊敬する監督は残念ながら早世してしまった。
しかし、あの3年間で流した汗と共に私の中に沁み込んだ濃厚な時間は一生の宝となっている。
監督の言葉は今もなお心に深く突き刺さったままだ。
恐らく他のメンバーも同じだろう。
監督の遺志は今も強豪サッカー部の礎だ。
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