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【エッセイ】カナダでの出来事★出会いと別れの話

#エッセイ #カナダ #出会いと別れ #ウィスラー #運命の地 #ニセコ #帰国 #ロスジェネですがなにか  

カナダでの出会いからまさか25年も続くとは


1999年2月は、私が人生のハイライトをカナダのウィスラーで満喫していた時期である。↓

同じ頃、私にもう一つの人生のハイライトが訪れていた。
のちの人生で私の伴侶となる女性との遭遇である。

馴れ初めの詳細についてはどこにも需要が無いので割愛したい。
が、説明上少しだけ触れておくことにする。

彼女はこの留学プログラムに東京から独りで参加していた。
私より短い期間の滞在だったが共に滑り、共に過ごすうちに付き合うようになった。

同じ歳で出身地も近く価値観も似ており意気投合したのだが普通は旅先での出会いなど所詮、一炊の夢のごとしである。
しかしそのあとも何故か続いた。
いや、あの出会いから25年経った2024年の現在まで続いているのだ。

出会った時のお互いのプロフィールは改めて書くまでもないが、無職で無収入の旅人同士だ。今なら伴侶となる人にそんなスペックの相手を選ぶことはないだろう。

逆に条件で選んでいないので本質の部分で運命の相手に惹かれ合ったのだという事で良いのだろうか。

若さとは実に怖いもの知らずだ。


ホームステイ先での話


話を戻すと、ウィスラーでの滞在についての続きになる。
私の宿舎がシェアハウスからホームステイに変わったのも同じ時期の事だ。

留学エージェントの斡旋で新興住宅地の一般家庭にホームステイをさせてもらうことになったのだ。

ホストファミリーの家族構成は40代の夫婦と中学生と小学生の兄弟の四人家族だった。
お父さんはバンクーバーで消防士をしていて単身赴任中。
中学生のお兄ちゃんは思春期の真っ只中でママと弟に対して反抗期気味なのであまり自室から顔を見せない。

自然とリビングで私の話し相手になるのはママと小学5年生のマイクだ。

「ねぇママ、この日本人に中国語教えてもらいたいんだけどいい?」
「こら、マイク。名前で呼びなさい。中国じゃなくて日本の漢字よ。あなたの名前を漢字で書いて欲しいって話してた奴でしょ」

ママに状況を説明されて私はマイクの名前を漢字で書くことになった。

「うーん。これかなぁ」私は『毎苦』と紙に書いてからやめた。
意味を聞かれたら困るからだ。毎日苦しむ、などと言えない。
咄嗟にちがう当て字を思いつき紙に書く。

「あぁ、マイク書けたよ。こう書くんだ」
私は『真行』と書いた紙を見せた。

「ワオ、ママ!僕の名前ってクールな形だね」とマイクが喜んだ。
「へぇ、マイクの名前が日本の漢字でもあるのね。ねぇ、どういう意味なの?」と案の定、ママが聞いてきた。

「この漢字は真っ直ぐ行け、という意味です。日本でも多く使われる人気の名前なのです」

私は思いついた答えを台本を読むが如く説明した。
ママとマイクはとても喜び、その紙を壁に貼った。
今度パパに見せるそうだ。

「あ、そういえば私の母から日本のお土産を預かって来たから持ってきますね」と私は自室のベッドの下にあるスーツケースの中にしまってあったお土産の袋を取りに行った。

「これ、私の母からの日本のお土産です」
テーブルの上に中身を出す。漢字の手ぬぐい、箸、扇子、サザエさんの英訳コミック。  

それと一通の封筒が入っていた。

それは私の母がホストファミリーのママに向けて英語で書いた手紙だった。きっと英和辞書片手に慣れない英語を手紙にして書いたのだと思った。
封を開け手紙を読んだママは涙ぐんでいた。

「素敵なママね。あなたのママはお世話になるファミリーに自分の気持ちを手紙で伝えてきたわ。私もあなたのママに日本語で手紙を書きたいからあなたが帰る日に渡すわ」 

私は胸が熱くなった。
自分もカナダから母に手紙を書いて出そうと思った。

そんなやりとりをしている間、マイクはサザエさんの漫画を読んでいた。
意味が分からないのか、心なしか表情が曇って見えた。ナーバス・タラちゃんのような表情だ。

(ナーバス・タラちゃんについての記述はこちらを参照)↓


「『TARAO』って日本人に多い名前なの?」

マイクに聞かれて私は否定するしかなかった。
今までタラオもカツオもワカメもイクラちゃんも現実社会で出会った事が無かった。
皮肉にも、『真行』には何度かあった事はあるのだが。


そんな感じでホストファミリーとは仲良く過ごすことが出来た。
マイクは人懐っこくて学校が休みの日には一緒にスキー場を滑ったり、家の前でバスケットやサッカーをしたりして遊んだ。

私がスノーブーツのままでサッカーのリフティングを披露するととても喜んだ。私は自分の経験がこんなところで活かせたことが嬉しかった。
国境を越え世代を超えサッカーは世界の共通言語なのだと思った。

私がサッカーに打ち込んだ青春の日々は間違いではなかったのだ。↓


ママは日本の事にとても興味があるらしくいつか行ってみたいと言っていた。今回ホストファミリーにエントリーしたのも日本人の受け入れ限定との事だった。
夜な夜なリビングでは私に日本の事を詳しく聞いてきた。
日本で流行っているTVショーの事やカルト教団が起こした事件の事なども聞いてきた。

私も英和辞書を片手にママとじっくり話すことが出来てかなり英語が上達したような気になっていた。
ところが不思議な事に特定のコミュニティの人との会話は不便なく通じるのだが、テレビのニュースキャスターが話している英語はほとんど意味が聞き取れないのだ。

そこに日常会話レベルとビジネス英語の違いを感じた。
結論として英語は困らないと覚えない、ということを理解した。

日本でいくら英語の勉強をしていても生活の中で困らないと英語耳にならないのだ。
こちら側の考えを伝える時も単語を知らないと言葉が出てこないので必死に覚えるようになる。これが日本に戻るとその『英語を使わないと困る環境』から離れるので忘れていくのだ。


ブラザーから旅先の指南『ニセコ』


そうして月日は流れ春が近づいてきた。
スキー場も雪がなくなれば営業終了となる。私の旅の終わりも近い。


「ヘイブラザー、このシーズンは最高だったな。俺はまた6月からNZで滑る予定だけどお前はどうすんだ」
「俺はノービザだから一度日本に帰るよ」

「そうか。また来シーズンもどこかで滑るんだろ?カナダならノービザでも最大6カ月はステイ出来るからまた来いよ」
「ウィスラーは最高だったけど違うエリアも行ってみたいな。どこがいいかな」

「あー、ブラザー!いい質問だ。アルバータ州ならレイクルイーズも最高だぞ。たぶんステイはバンフになるな。サンシャインも行けるしエルクもいるし町もいいぞ」
「ん?レイクルイーズ?エルク?」

「まあ、行けば分かるよブラザー。海外ならNZも最高だけどスイスのツェルマットとかサンモリッツとかシャモニーも良かったな。でもいつかニセコにも行ってみたいんだよな」
「ニセコ?北海道の?」

「ああ、パウダーがくそヤバいらしいな。一度でいいからいつか行ってみたいよ」
「へぇーそうなんだ。ニセコか」


シーズンが終わりに近づくとスノーバム達の次のトリップ先のことが話題に上がる。パウダースノーを求めて移動するのがスノーバムだ。

日本のニセコも彼らの間では有名だった。

ー ニセコか。

この地名がのちの私の運命に深く関わってくることなどこの時は露ほども思っていなかった。


マイクとの別れ

そして帰国の日が来た。

ついにお世話になったホストファミリーと別れる時が来てしまった。
私はママから手紙を受け取りハグした。

マイクとは感動のお別れのムードにはならず、せがまれて肩車をしてやった。肩車のままガレージ前のバスケットゴールにダンクシュートを決めて喜んでいた。

中学生のお兄ちゃんは無理矢理連れて来られた参列者のような顔をしていたが最後にぎゅっと握手した。
そういえばお兄ちゃんの名前はジムだったが、漢字の名前をリクエストされなくて良かった。
まさか『事務』とは書けないよな、と思った。


空港行のバンのハッチに荷物を積み込み、助手席に乗った私は動き出す車の窓を開けて手を振った。ジムが親指を立てるのが見えた。 

刹那、走り出した車をさっきまでふざけていたマイクが泣きながら追いかけて来たのだ。それを見てママが泣いていた。

ー なんでだよマイク。

私は胸にグッと熱いものがこみ上げて来て堪えきれず不覚にも嗚咽を漏らしていた。あの別れの光景は今も忘れる事ができない。


バンクーバー空港までの道中、色々な思いがよぎり出会った人たちの顔が次々と浮かんできた。私は今回の旅での出会いに感謝した。


ー 私の人生のハイライトをありがとう。カナダ。ブラザー。くそサイコーでした。

ー マイク、他人のレールの後追いはせず自分で見つけた自分だけの人生のラインを真っ直ぐ行けよ。


私も次の雪山はどこを滑るのか。ハワイでゴルフはお預けだ。

最高の雪を求める旅はまだ終わらない。
これからは道連れのパートナーと相談だ。

まさか25年後に運命の地に住んでいるとは

パートナーと相談して次に向かったスノートリップ先 ↓

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