人は縛られるとクリエイティブになる
想像してみてください。
手足を縛られて床に転がっています。
こんな状態で何ができるんだよ・・・
そう思いますか?
縛られるという言葉のイメージは、そのようなものかもしれません。
しかし、人って意外といろんな制約に縛られて生きているものです。
制約は不自由なのか
実は何にも縛りなく、完全に自由にやってくれ!
と言われたほうが、人は行動しにくくなってしまうものです。
例えば、夏休みによくあった「ポスターを描いてくる」という宿題。
「テーマ」とか「人権〇〇のポスター」などお題が決まっていました。
読書感想文などもそうですね、原稿用紙〇枚以上〇枚以内でとか、課題図書なんて制約もあります。
なんでもいいし、自由に書いていいからと言われると、何を書いていいかわからず悩むし、書けない。
そういうものなのです。
制約だらけだ
そもそも、自然界の法則に縛られています。
重力があるので、壁に沿って縦に歩いていくことはできませんし、高いところから落ちれば衝撃を受けます。
また、スポーツやゲームは「ルール」があり、その範囲内で工夫して遊ぶようになっています。
制約があるから工夫する
限られた条件の中で、いかに楽しむか。あるいは、スキルや知力を働かせて有利にことを進めたり、力を発揮するかが楽しいわけです。
工夫するというのはクリエイティブ力が発揮されているわけです。
ある意味 制約を与えるのも応援である と言えるかもしれません。
制約があるからこそ、困る人があり、その制約をクリアする方法を思いついたり、発見した人は、仕事になるわけです。
クリアする方法を教えることは仕事=お困りごとの解決ですし、依頼する人は仕事を発注することで、それを生業にしている人の生活を応援していることになります。
仕事をした人は、税金を支払うという制約が課せられていますが、そのルールにより、社会全体に利益が還元されるという仕組みになっているわけです。
これまた、応援が強制的ではありますが、循環する仕組みの1つとなっているわけですね。
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