こぼれたコーヒー。
今朝は朝早く海外にでかけた娘を見送ったあと、次の用事まで二時間ほど時間潰し。
月曜の朝のベーカリーカフェで、3回ほどこぼしてソーサーが洪水になったコーヒーとスマホがお供。
どんだけトレーを日常でつかってないか、あるいは平行感覚ないか自分が情けない。
購読してる月刊はぁあちゅうのバーニャカウダの話を読みながら、最前線の東京女子の感覚を西日本のチェーンのベーカリーカフェで、 コーヒーの汁に気をつけながら
その感覚、少しだけわかるぞー
って、楽しめるのっていい時代だな。
ただ、感覚わかるといっても、私が住んでる関西の西端では、バーニャカウダって、ちゃんとしたもん食べたことないわ、とか、モンスーンカフェって合コン会場の定番なのね、昔の女子大生の定番だったオープンハートはださいのね、なんて、感覚のズレをおおいに感じたり。
気持ちだけ若いつもりではいたけど、あらためて、世代は確実にシフトしているね!
最前線とはいかないまでも、バブルの初期にそれなりに華やかにOLしてた私としては、二世代は確実に経っているので、あらためて...というのもおこがましいのだが。
ただ、子育て時期もネット社会のおかげで、昔のお母さんたちよりかはいろんな都会の流行りもんについては耳年増ならぬ、耳若者ではないかとおもってはいたが、そういうことを自負すること自体がダサいのかもしれない。
ほら、いつまでも若いと思って、子供世代のイタイ格好をしているおばさん、そんな感じ?
子供が一人で外国いく年齢やもんな。
織田信長の時代やと、もう晩年で死ぬ準備せんとあかん年齢。
しかし、困ったことに今時の50代はカラダともかく、気持ちはまだまだ生きていけるだけの元気はある。
ただ、あと平均寿命まで30年はあることを想像すると、ある意味、ぞっっとすることもあるが。
この30年は子育てのおかげで、あっという間に過ぎた。最中はともかく、過ぎてしまえは10年?いや5年?くらいの感覚だった。
しかし、これからの30年はどうなんだろう。
まだお迎えがこないって、嘆くつまらない人生を送るのか、それとも、やりたいことあるから死にたくないって80歳になっても思ってるのか。
できれば、後者になりたいなと、ソーサーに溜まったコーヒーに呆れながら考える週のはじまり。
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