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七つの習慣 その一

少し前、自己啓発の一環として読みました。実践が難しいところもあるけれど、出来ることから実践していきたいと思います。

大前提の「問題はそれが問題であると思うから問題なのだ。自分自身がそれを問題だと思わないように変わればよい」という概念から正直難しかったりする訳ですが、まあせっかくだから頑張りますかね。


とりあえずは一つ目の習慣、「主体性を持つ」ところを職場でも実践中。意識してなくてもやってましたが、意識してより強く主体性を持たせています。

おおまかには、仕事を「やらされている」と感じてやるのか、「必要だから(自分が)やるんだ」と感じてやるのかで意識が変わってくるというような話。

仕事柄、私は医師とも意見をぶつけるためによく話をするんですが、添付書だけ持って自分の意見なく話に行く同僚が多いです。

お互い専門家として、だからどうしたいという自分の意見すらないのに、話を通せる訳がない。ましてや相手の方が色々な意味で格上なのに。

そこに主体性がないから、話にならない。通せて当たり前の簡単な疑義紹介ですら、自発的に変えたんだという意識がない。

故に、疑義照会(処方内容の確認行為)の文面が「○○医師の指示で、アレコレ変更となった」となる。今の私が書くなら「○○医師と処方内容について協議し、アレコレ変更を行った」とする。

後で記録を読み返してみて、どちらがより専門家として仕事をしたと捉えられるだろうか?仕事の内容としてはおそらく何も変わらないけれど、評価を受けるのは後者だと思います。

院長からも、薬剤師はもっとガンガン前に出るように、と常々言われています。同じ内容の仕事をしていても、評価を受けにくい形でこなしていれば、そう言われても仕方ない。

まずは、認めさせる。認められるではなく、認めさせる。それが出来なければ同じ土俵には立てない。

私は医師に意見を通すつもりがない確認の時は、あえて変更しない確認を取りに行きます。それを裏付ける自分なりの意見を添えて。

医師も、承認欲求を満たしてくれる確認方法の方がきっと嬉しいはず。形式的な確認作業には飽き飽きしていると思うので。

私と、私以外の同僚とでは医師からの待遇がかなり違うのですが、そういうことの積み重ねなんだろうなと、改めて思います。


今後も、院長や副院長を手玉に取り続けられるよう、第一の習慣は続けていきますかね。

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闇の中、光を求め愛を叫ぶじゅにー
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