食育とは?
こんばんは、闇と光の伝道師、愛を叫ぶじゅにーです。
最近呟きばかりで申し訳ないです。色々と忙しなく過ごしているもので。
記事も書けず呟きばかりなのですが、一応参加予告をしていたものの締め切りが今日明日なので、それだけでも間に合わせておこうかなと。
テーマは「食育・子育て・おいしいもの」なので、食育に関して思うところを語っていこうかなと思います。
では、以下よりスタートです。
我が家では、妻の妊娠中に色々と自分達で食と健康について調べ、今後の食の方針を打ち出しました。大きく分けて3つあります。
・畜産による食肉は口にしない
・乳製品は嗜好品として捉え、たまに口にする程度とする
・化学調味料、合成着色料、人工甘味料など食品添加物を極力排除する
ぶっちゃけ賛否両論出る内容だとは思います。健康に対する影響も正直定かだとは言えませんし、何より手間がかかるし、人によっては食べる楽しみも減る。
電子レンジとか加工食品、冷凍食品も殆ど使わないので、人に勧めるにもこと手間に関するところでの拒絶が大きいです。
それでも我が家ではそれを実践し、かれこれもうすぐ10年位になるでしょうか。今となっては聞かれれば答えるぐらいの程度で、実生活では進んで周りに勧めようとはしていません。
勧めたとしても時間的、経済的、その他色々な理由により受け入れて貰えないことを承知しているからです。実家の母が、考えだけは理解してくれている事ぐらいが救いでしょうか。
今回はその是非は置いておくとしまして、これが我が家の方針である以上、他の人のように拒絶出来ず受け入れざるを得ない人物がいます。
それは言うまでもなく、うちの子です。例に漏れずその方針で育ててきました。
三歳になって幼稚園に行くまでは他のおうちの食事情なんて知る由もなかったでしょう。通っていた幼稚園は給食ではなくお弁当だったのが我が家的には願ったり叶ったりでしたが、それでもうちの子は他の子達がどんな食生活をしているかを徐々に知ることとなります。
うちのお弁当にはハンバーグも唐揚げも入ることはない。他の子達がそれらを美味しそうに食べている中、うちの子は煮物や蒸し野菜が中心のお弁当です。
妻のたっての願いで無添加で信頼できそうな冷凍コロッケを常備し、せめてもの華を持たせましたが、それでも地味なのには変わりがない。
おやつにしても、みんなは園で配られる派手なパッケージの駄菓子やチョコレートなんかを食べていますが、うちの子はおかきやお煎餅。子どもの目を引くようなものではありませんでした。
方針を曲げるつもりはないものの、親のエゴの押し付けだとか、子どもに選択権がないのは可哀想だなどと言われ、悩んだ時期もあります。
そんな最中、複数人の親子で少し遠い大きな公園に遊びに行こうというお誘いを受け、出かける機会がありました。
うちの子が持って行くおやつはいつも通り。みんなはチョコだとか色々なものを持ってきています。もしうちの子が欲しがればその時はあげるしかないかな、と一緒に行った妻は思っていたそうです。
そして予想通りみんなでおやつを分け合って食べようという流れになりました。そこで色々なおやつを勧められ、うちの子がお友達に対してかけた言葉はこうでした。
「これは僕が病氣にならないように食べちゃいけないおやつだから、僕は要らないよ。」
その言葉を聞いたとき、妻は涙ぐんだそうです。仕事帰りの車内で話を聞いたわたしも思わず涙ぐみました。私達の悩みは杞憂であったと。
報告には続きがありました。妻が帰った後うちの子にこう聞いたそうです。
「もしお友達が、いつも食べているおやつを勧めてきていたらどうしたの?」と。
うちの子は迷わずこう答えたそうです。
「僕が食べたことがあるおやつは食べても大丈夫なものだから、ありがとうって言って一緒に食べるよ。」と。
当時四歳の我が子は、親が思っている以上にしっかりと自らの生活を理解し説明出来るようになっていました。そこが何よりも嬉しかった。
そこで感じた「食育」というものは、食とを通して親と子が共に学んでいくというものでした。
何故これは嫌いなのに食べないといけないのか、どうしてあれは好きなのにあまり食べてはいけないのか、そういった問いに真摯に向き合っている親御さんは正直少ないように感じています。
説明が大変だから無理やり食べさせる。ダメと分かっていてもしつこく言われるから与えてしまう。そこにあるのは親の事情ばかりです。
親がきちんと子どもと向き合って学ぶ姿勢を見せてこそ、子どもは理解して学べるのではないか。それこそが食育の真髄ではないかと、そう思ったとある日の出来事でした。