切迫流産入院16日目(MFICUへ転院)
22週を迎えました。
今日からは切迫早産になるのですが、切迫流産こ人間がどのような経過を辿ったのか今後参考になることもあるかと思うのでタイトルはこのままにしておこうと思います。
朝9時前くらいに主治医がきて、これから電話しますと。あーいよいよかーというかんじ。
そして内服のリトドリンが点滴に変わりました。
これが噂の点滴…。
開始後普通にスマホいじってたらエラー出ちゃったんでじっとしていろということですね。。
今お小水の管も入ってるし、本当にほぼ身動きがとれません。結構メンタルにくる。
そして胎動とともになんか出る感覚があって見てもらったけどなんともない。このかんじもメンタルにくる。そして点滴の副作用早い。メンタルにくる。
9時半くらいに状況伝えにきますね、と言われていたのに先生来ない。メンタルにくる。
と思ったら10時くらいに登場。
コーディネーターが調整中で、催促の電話したけどお待ちくださいという状況とのこと。
メンタル………。
と思った30分後再度参上。
見つかりました、ということで安堵したのも束の間、「この条件でいいなら」ということ。
「その条件」がなかなか厳しいものだった。
わかっちゃいる、わかってはいた、けど現実に突きつけられると「はい」と即答はできない。
夫と相談するので少し待ってくださいとお願いする。
健康診断中の夫にLINEで画像送信。
さすがの夫もかなり困惑したと思う。
生きて産まれてくれたら助けてあげたいという思いはもちろんある、でも本当に育てていけるだろうかという覚悟がまだできなかった。
40分くらいして先生が入室、先生のほうからも夫に直接電話をしてくれることになった。
「週数を増やす可能性があって妻も望むなら移送してください」とおっしゃっていました、ということでしたと先生が戻ってきた。
うん、決めた。産む。
少しでもいい環境に移って少しでもいい状態で産む。
そこからが早かった。
多分11時半くらいにお願いします、ってなって、まぁ15時くらいなのかなーと思ったらバタバタと準備が始まり、12時には救急車来てました。救急車に乗る準備などが整えられ、12:15頃移動開始。
救急車って狭いんだなーとか、母体移送でもサイレン鳴らすんだなーとか、結局キーマカレー食べれなかったなーなど取り止めのないことを考えてるうちに20分ほどで着きました。
いつもならあっという間なんだけど、景色も見えないし固定されてるから永遠かと思った。
到着し、処置室(後にナースコースに分3と書いてることを知ったので多分分娩室だったのかもしれない)に運ばれる。
検査のため着ているもの全部はがされる。全裸。
たしかに昨日暑いから全裸で寝たいと夫に言ったが、まさか自分でフラグ立てていたとは…。
そこからあっという間のような永遠の時間のようなよくわからない時間を過ごしたのはきっと病院についてから始まったマグセントという点滴のせいでしょう。
いやぁ、こいつエグい。エンフルエンザかよってくらいダルい。後に再開した夫から本当に具合悪そうと言われるくらい具合悪い。だって本当に具合悪いんだもん。
全ての検査が終わったのは15時ごろで、その後先生たちで方針を話し合ったりしていたと思われるのですがしばらく放置。視界がぐるぐる。
お昼間に合わなかったんで…ということで軽食として持ってきていただいたシチュー、おいしいけど全然食べれなかった。
あ、急に話変わるんですけど、わたし甲殻類のアレルギーがありまして、パン工場で甲殻類のエキス除去できないのでパンがでませんと宣告されました。パンLOVEなわたしにとっては死刑とほぼ同じ。退院したら食べたいものナンバーワンがまさかのパンになった。
あと春雨を食べると吐き散らかすのですがめちゃくちゃ細かく聞かれて、緑豆は?でんぷんは?見た目がだめってこと?いや、見た目で嫌いな訳じゃなくてなんか春雨食べると吐いちゃうんですよ!!ってかんじだったけど、意識朦朧としてるので多分カオナシみたいな声しか出てなかったと思う。
16時ごろでしょうか。先生が説明してくれた。
主に内容は聞いてたことと同じ。
付け加えられたのは、今子供が逆子なので出産の場合は基本帝王切開。
ただ、週数が短いので切る筋層が多く、子宮のダメージが大きい、最悪子宮摘出の可能性もある。しかも子供は助からない可能性が高い。
その中でそこまでしても帝王切開で出すかというのは医療機関によって意見がわかれます、ということ。
あとは、卵膜は膣口からもう2cmのところまできていて戻ることはない(が、一応胎児は全身子宮内にいる)ということ。想像してた以上に状態は悪かった。多分そんなに週数稼げないだろうっていうのが先生の見立て。
そのあと新生児科の先生が17時ごろから22週で産まれた子供の予後について説明しますということで一旦夫はロビー、わたしは病室へ。
過酷な現実を更に突きつけられ、夫に迷いが出る。それを聞いてわたしも迷いが出る。
17時から新生児科の先生の話を聞く。
起こりうる障害の話。覚悟はしてほしいと。
夫は子供が障害のせいで一生苦しいつらい思いをするのではないかと心配している。
わかる。
わたしはそれを見て辛い思いをする夫を見るのも辛いだろうな、と思う。一生自分を責めるような気がする。
「お母さんはどう思いますか?」と聞かれる。
そう、わたしはもうお母さんなのだ、この子の。
生きて産まれてきてくれるなら生かしてあげたいと思って、出血の日から頑張って耐えて、今日救急車に揺られここまできた。
しかもこの瞬間動いている。助けてって言ってる気がする。こんなに生命力の強い子なら、多分元気に育ってくれるとわたしは信じたい。
わたしたちは産むことを決めました。
先生たちは、今決めてもその時覆るというのはあります、わたしたちもその時になったら改めて聞きます、と言ってくれた。
それからとりあえず二人でひとしきり泣き、夫は大量の荷物を片付けてくれ、「二人でがんばろうな」と言って自宅に帰った。
今日は今まで生きてきた中で1番長い1日で、1番泣いたような気がする。わたしは常日頃泣いているのだけどね。
やっと落ち着き、改めて安静を頑張ろうと誓う。
先生も同じ週数でも0d、2d、4dでは全く違う。少しでもおなかの中にはいてくれることを願いましょうと言っていた。
外は暑いよ、じめじめしてるよ、お母さんのお腹の中の方が気持ちいいからもう少しいてね。
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