脳の感動と忘却
You Tubeのタイムラインで流れてきた、ドキュメンタリを見た。
東日本大震災で、両親と妹、そして祖母を亡くした少年の話だった。
その少年が伯母と共に過ごした日々を追った番組である。
一見しただけの私が、仔細を分かったようにここに書くことはできないが、少年と伯母の気持ちを想像し涙が出た。
自分の家族がそこにいることの有難み。
ただそこに有ることは難しいこと。当たり前ではない。
当たり前が当たり前ではない。あらゆる人がどこかで感じたことがある感情。そして、かならず人はその時の気持ちを忘れる。私もそうだ。
日中涙を流した直後の気持ちは、その瞬間の高ぶりから落ち着いている。
それは当然だろう。あらゆる感情への反応が高位安定し続ければ、脳はオーバーヒートしてしまう。人間の生理反応上何ら違和感はない。
抗えない生理反応と分かっていても、今日感じたこの気持ちは、心のどこかに常に引っ掛けておきたい。部屋の真ん中じゃなくていい。見える場所に置き、仕舞いたくないのだ。
脳をオーバーヒートさせず、部屋の中に置くことはできないだろうか。思うだけではなく、現実の行動とリンクする何かが必要なことは直感的に分かる。何があるか。
「感謝」だ。感謝を継続することで、当たり前が当たり前ではないことを心の部屋に置き続けることができるはずだ。
家族、同僚、仕事、食事、健康、あらゆることへの感謝。それが全ての出発点、好転へのきっかけ。
ありがとう、東北の少年。きみの強さのおかげで気づくことができたよ。
万物に感謝。僕ら日本人、気づけばちいさい頃から教わってたなぁ。