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『巨人軍の巨人 馬場正平』を読んでの思い出話

『巨人軍の巨人 馬場正平』【著者:広尾晃】
 
もうこの本、初版の発行が2015年。
そろそろ10年前の本になってしまうのか。。。
 
巷で今でも定説とされている
・ジャイアント馬場のプロ野球巨人軍時代、二軍で3年連続最優秀投手となっていた。
・脳下垂体手術の時期は1957年12月。
 
この2点は事実誤認であり、正史ともいえる自伝に重大な誤りがあるとの指摘。
 
13年にわたり広報担当者でございますと鎮座していたワタクシは冷や汗をかきながら本書を紐解いた。
野球専門ライターの著者の調査が素晴らしく過去の記録を紹介しながら、当時の空気が書面から漂うように伝わった。
 
先日読んだ『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』【著者:村瀬秀信】でも感じたことだが、とにかく当時のプロ野球はメディア・球団・スポンサーたる米国などの面々の、敗戦国に興行として成立させたい思惑があからさまで、これが高度成長期というものなんだと改めて思った。これに独特の興行界の人間関係の今にも至るドロドロが絡み合う。プロレス同様に現代日本の黎明期、雑然騒然とした世界。
 
詳しくは本書を読んでいただくとして、ワタクシが思い描いていた今のプロ野球の二軍、ウエスタン・リーグ、イースタン・リーグのような状況では全くなく最優秀投手がどうのという概念?もなく、記録がどうのこうのというよりも、馬場さんはすでに一つの興行の巡業スターとして、巨人軍時代から“ババさん”的なポジションだったことを思い知った。
実力はありながら依怙贔屓により活躍できなかった暗黒時代というエピソードだったはずなので、これもプロレス界の『正史』としては驚天動地といってもいい話だ。
 
本当によく調べていらっしゃいます。
名前を聞いて懐かしい!と思ったのは、新潟の唯一といってもいいくらいの球友だった方。
馬場さんからの手紙を新潟の郵便局のイベントに展示してしまって馬場さんが「弁護士を呼べ」と、激怒。
手紙の公開は禁忌だった。思い出しても、あれは馬場さんの一番の怒りだった。
 


脳下垂体手術復帰からの順風満帆な活躍、野球をやめた後のインタビューの明るさ
『もう何でもやってやろうと思っています。どうせつらいなら相撲よりプロレスのほうがいいかな。そりゃ野球には大いに未練があるけど。とにかく、みみっちい話だけど生活費を稼がなくては』
と明るく朗らかな笑顔。
巨人軍入団の折に駅で万歳三唱で見送られたのに、病気やケガのためとはいえ故郷になど、どの面さげておめおめ帰れようかという悲壮な思いで力道山道場の門をたたくはずなのだが、『どうせつらいならプロレスのほうがいいかな』って現代若者チック。完全なる『正史』の否定。
 
そうだ、確かに、、、思っていた。
馬場さんのイメージ、真面目で愚直で、時に冷酷で一種悲壮感を伴った人というのが主流だと思うが、実際はどこか「魚屋のおっさん」のような雰囲気もあるのだ。
わりと、いい意味でのいい加減さというか、そんな細かいことはどうだっていいんだというようなことも多かった。
 
懐かしくいろいろとまたまた思い出した。
 
次期シリーズのカード発表のタイミングになると、「試合カード決めるの本当にめんどくせ~」という感じで、元子さんが無理やり尻を叩くという毎度の展開。「三橋君が困ってますよ~」と広報をだしに使うこともたびたび。
 
深夜にキャピトル東急ラウンジで最終的に決定されることが多く、終電で帰るワタクシのもとへ朝一で元子さんから電話が入る。口頭によるシリーズ全カードの聞き取りである。
 
ここでまたまた、家宝となる思い出。
馬場さん専用ノートをだるそうに読み上げる電話口の元子さんが、突然「うふふふ」と笑ってる。
「なんだこりゃ、三橋君が試合に出てるよ、けらけら」と。
ご存じ超世代軍“三沢、小橋組”が“三橋、小橋組”になっているんだそうで、後々、馬場さんノートの当該ページをわざわざ見せてくれた。「ほんとでしょ」と。
「デビューありがとうございます」という返しができれば大したものだが、不肖 三橋、困惑しきりであった。
寝ぼけ眼の馬場さんの『あいつがうるせーからなー』ではなく、せめて『あいつが待ってるからなー』だといいのだが。馬場さん専用ノートでは確かにワタクシはデビューしていた、メインイベントで。
 

長年の謎も一つ解けた。これも本当にうれしい。
入社面接で出版社勤務だったワタクシに
「オレも出版社に就職が決まっていたんだよ。東京出版といったかなー。知ってるか東京出版?」といわれあいまいな返事に終始した不肖 三橋。このくだりは入社後も2回繰り返され、意外に東京出版に拘っていた。
謎は馬場さんはたしか高校中退→巨人入団という経歴、どのタイミングで就職するのかってことと、東京出版っていう出版社も知らないな~ということ。
本書曰く、当時の地方では高校進学率は低く、中学卒業後に就職を決めかけていた、それが日本出版販売株式会社だという。
えぇー日本出版販売株式会社とは書籍取次大手のニッパンのこと~!?
大手としてはもう一社、東京出版販売株式会社、いわゆるトーハンがあるけど、
じゃあ馬場さんが言ってた東京出版はトーハンやないかい。
めっちゃ有名、しかもライバル会社のほうに間違ってるし。
 
しかし、出版社勤務になっていたかのかもしれない未来を思い描く一助であったのであれば幸いだ。
確かに遠い目をなさっていた。
 
 
こういうアバウトなところが馬場さんらしいな~と悉く懐かしくなった。そして新鮮だった。
そんな本がもう10年近く前に世に出てるのか。取材対象の幸子さんもすでに鬼籍。やばいな。
 
馬場さんの病気や野球に対する想い、それに寄り添った元子さん、二人とも意外にアバウトだったり浪花節だったりという、ワタクシの見た数々のエピソード。
当時は毎日、次々と事件ばかりがおこり、そうしたゆっくりとしたことが考えられなかった。

いつか残しておきたいとは思ってまーすーーー。

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