【俳句エッセイ】イスタンブールに秋はない、探さなければ。
先日このようなnote書きました。
もちろん、これは私の個人的な感覚です。
そして、「探さなければ」と付け加えました。
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今年はコロナで海外出張できていませんが、例年であればで海外出張が多くトルコの夏の終わりにロシアに出張して、あちらが冬で、帰って来るとこちらも冬になっていたというようなこともよくありました。
日本のようにサンマが食卓に上ったり、紅葉前線が南下して来るというような、秋の風物詩がない(トルコにもあるだろうけど私がそれを知らない)のも、秋をつかまえるのが難しい原因だと思います。
それで言えば、私なりの季節の移り変わりの目安は「海の色」です。
夏には文字通り「ターコイズブルー」になるボスポラスの海の色が、冬が近づくにつれて、だんだん深いグレーにその色を変えていきます。
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昨年9月15日に、自宅近くからボスポラスの海の色を見ながら、俳句を作っています。
行く夏の行くその音が聞こえたり はちえいと
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年は違いますが、去年夏の終りを詠んだ9月15日から、今年冬の始まりと判定した9月24日までの10日間ほどが秋ということでしょうか。
来年は、五感を研ぎ澄まし、“行く夏の音”と“冬の始まりの最初の日”の両方を逃さずつかまえて、最高に気持ちのいいトルコの“小さな秋”を見つけたいと思います。
では、また。
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