【開催レポート】ファシグラキャンプを通して感じたこと🍁〜2023年11月〜
みなさんこんにちは。愛媛在住のファシリテーターのいわし〜です。えひめの板書屋として時にグラフィックレコーダーとしても活動をしています。
先日、淡路島で開催した、「きく・かく・えがく!〜ファシグラキャンプ〜」のレポートをお送りします。一緒に企画してくれたのは、淡路島在住のファシリテーター・青木マーキー。私の尊敬するファシリテーターの一人であり、キャンプ初心者の私にとっては先輩キャンパーでもあります(マーキーと出会った当初は、キャンプおじさんと心の中で呼んでいました)。
開催場所は、電気、ガス、水道の通っていない古民家、津井の家「琴屋」。築百年にもなり、立派な長屋門が印象的な建物です。庭には程よく木々と草木が植わっており、風が通ると気持ちがいい。この場所はマーキーと奥さんの京ちゃんが管理してます。
琴屋でのファシグラキャンプの開催は3回目で、私も使い勝手がだいぶわかってきた頃。琴屋に来るたび、「帰ってきたなあ〜」という不思議な感覚に。今回もここにお世話になります。
土間パワー!
今回の参加者は埼玉、神奈川、大阪、愛媛、徳島、兵庫、そしてハワイからも!遠路はるばる、続々と集まってきます。みんなが集まる前に、絵の具を出してせっせとウェルカムボードを作ります。まずは「来てもらってありがとう」の気持ちをみんなにお伝えします。
この日は雨風が強く寒かったため、1日目のワークは、琴屋に新しくできた土間で。これまで琴屋にはなかった空間で、元々は畳の床でした。先日、老朽化により床が抜けてしまったそうで、急遽、部屋の半分をDIYで土間にしたとのこと。マーキーの奥さんの京ちゃんのDIYスキルがすごくて、作業の速さと柔軟な発想にいつも驚かされます。
ちょっと薄暗くて、ちょっと寒くて、湯たんぽを抱えながら、土間にちょこんとみんなで座る。参加者同士の気持ちがぐっと近くなっていくのを感じる。
普段、私が会議室でファシリテーションをする際は、参加者の心理的安全性の担保や緊張感を解きほぐすために、私から参加者に声かけをしたり、会議室に花を飾ったり、窓のカーテンを少し開けたり、色々な準備をします。しかし、今回は意図的に何かを準備したわけでもない。土間の空間で、みんなの心がじっくり、ゆっくりと開いていくの感じました。
土間のちからって、すげー!
自分の意志で動きはじめる
ファシグラキャンプで私が「面白いなあ」といつも感じること。時間が経つに連れて、参加者の皆さんが意志をもって自分から自由に過ごしはじめていくところです。もっと詳しく書くと、参加者が企画者の指示や誰かの意図を感じて動くのではなく、自分の根源的な欲求(自分がやりたいと思ったこと)で動きはじめる、という感じでしょうか。
2日目の朝のこと。
私が朝ご飯の様子を方眼紙に書いていたら、隣で「私も書く〜」と言って、いつの間にか4人で絵を書いていました。その傍らでは、マシュマロ焼きたい!という声が聞こえて、焚き火の場所で焼いている人もいたり。各々めっちゃ自由。この時、私が「朝ごはん作りながら描くワークをします!」と掛け声したわけではありません。
この時間に交わされる話もまた興味深かった。一人がマシュマロを直火で焼いている様子に「直火で焼いたら焦げちゃうよ」「でも早く食べたいから!」「あはは、そういう人いるよね〜」「あ、私も火に突っ込んじゃうタイプだ〜」とちょっとした雑談から人の考えや価値観が見えたりすることもあったり。少し離れたところでは、別の2人組がちょっと深い話をしていたり。
自らが自分の意志で動き、他者と心のキャッチボールをゆるやかに交わしているこの光景。これって室内ではなかなか見ない光景だよなあ、野外だからだろうなあと私は感じていました。
聞くときの心構えと書くときの恐れ
さっき出てきた、心のキャッチボールという言葉。私の思う、心のキャッチボールとは、「相手の言ったことに対して、良し悪しを判断することもなく、発言の意図や背景を少しでも理解しようと、寄り添って聞こうとする姿勢」だと思っています。相手の話に耳を傾け、相手が何を感じて、何を話そうとしているのかを感じ取ること。私が人の話を聞くときに、心がけていることでもあります。
2日目の午後は、琴屋を出て2人ペアで散歩しながら「自分にとってきく・かく」とは?を語ってもらいました。そして一息ついてから、琴屋の裏庭でマーキーと対談。話し手は私、聞き手はマーキー。テーマは「聞くときの心構えと書くときの恐れ」。
第一部では「きく」。まずは自分の声を聞くこと、そして自分の話をたっぷり聞いてもらう機会を設けること、相手の声を聞く姿勢を作る前に自分を満たしておくことなど、私の経験をもとに語っていきます。
第二部では「かく」。私はかくことは自分のため、相手のための2つあると思っていて、相手のためにかいたことが逆に傷つけてしまったエピソードから、過去を紐解いて話し始めました。そして、ビジュアルという視覚的な要素で会議の話や出席者のイメージを固定化してしまい意図せずに誘導してしまうこともある、という側面についてもお話ししました。
1時間ほどたっぷり話す中で、マーキーの聞く姿勢を目の前で見ることができたのも良かった。頷き、復唱、言い換え、関心を寄せること。周りの人にもわかるように、私にも、全体にも言葉を返してあげることも。そうか、そういう風に聞くんだ〜!
そして、段々とみんなもこのテーマに触発されて、自分のきく・かくにまつわる過去のエピソードを語り始め、夕暮れと共に深く潜る学びの時間になりました。
固定概念を捨てて、その場に丁寧に向き合うこと
さて、ちょっと裏話。この2日間私がどう感じていたか、心の動きをここに綴っておきます。
企画して3回目ということもあり、少し慣れてきた反面「新しいことをしなくちゃ!」という主催者としての焦りが少しありました。「前回このワークをして良かったから、今回も同じことやろう」という固定概念を取っ払いたいという気持ち。そして、参加者が毎回異なるため、その場の一人一人の参加目的や思いに丁寧に向き合いたいという気持ち。葛藤!
以前マーキーにこの考えを教えていただき、今回も「過去の自分を超えて、スクラップ&ビルド精神じゃ〜!」と思っていました。…しかし、頭で分かっていても実際に実践することはなかなか大変なこと。
ファシグラキャンプはセミナーや講座ではないので、場所と時間に自由度がある分、柔軟な対応とその場の判断力が大切になってきます。さらに、野外のため、天候によって、できること・できないことがどんどん変わっていきます。
ワーク中、「もっと他にもいいやり方があるかも」「今いる参加者一人一人に対してどんなテーマがいいだろうか」と考えれば考えるほど、決断ができない私。「あ〜今のタイミングで休憩を入れた方がよかったな」「いや、でももうちょっとこの感覚を全員で味わう?参加者に委ねようか…。」「そろそろ次のワークに移るべきか否か…」とぐるぐる。
特に1日目は、自分が手を差し伸べたり対話の間に入ったりするタイミング、参加者を見守るタイミング、それぞれの塩梅がうまく掴めずにいました。みんなが寝静まって、一人反省会ののちに、明日はどうしようか、天気・気温はどうだろうかとテントの中で考えてた夜。ハッと思い出したのは、冒頭で私が参加者に伝えた言葉でした。
主催者である責任と意気込みが強過ぎて、私自身がファシグラキャンプを楽しむことをすっかり忘れていました。先のことを考えすぎて、今この場所に丁寧に向き合っていなかったのは私の方だったのです。
「そうだ!自分も思い切り楽しんだらいいんだ!」と2日目からは自分も楽しみつつ、時に見守りつつ、参加者と一緒に時間を過ごそうと気持ちを切り替えました。一人一人に眼差しを向けつつ、声かけや提案はバシッと。決めたワークはとことん楽しみ、やらないと決めたワークはバッサリ諦めて切る。そうだそうだ、初心に戻ろう。
あ!あの人の聞き方素敵だな。んーあれはどうやって書いているのだろう?と、この2日間、みなさんからたくさんのことを学ばさせてもらいました。
マーキーの間の取り方がすごい
そして今回一緒に企画してくださった、マーキー。彼の間(ま)の取り方がすごい。マジですごい。私もまだ咀嚼中で完全に言語化できてないのですが、参加者への声かけや話題を投げかけるタイミング、間を見極めて話を締めるタイミングが違和感を感じることなく自然。そして、“空間の間”の取り方も自然。あれ、気配が消えた!?と思えば、シュッと存在をあらわしたり。ジョジョでいうスタンド能力?うーん、違うか。ポジショニングと言い換えたらいいのでしょうか。
彼は、ファシリテーターである自分が行動することによって、この場にどのような影響を与えるか(例えば、座る、立つ、手を動かすなど)さえも常に考えているように感じました。どこに座ると参加者が話しやすいか、ちょっと席を立ってフラッといなくなって、参加者に場を委ねてみたりとか。
にしても、これはほんと言語化しにくい!実際にマーキーのファシリテーションの場を体感してみて、はじめてわかることかもしれません。
話の間と空間の間の見極め方と取り方。
一長一短ではできないこと。改めて驚かされました。
やっぱりマーキーはすげーや。
マーキーと共に時間を過ごすことで、見て・聞いて・感じて学ぶことがたくさんあります。今回もご一緒してくれて、本当にありがとう。
↑参加者募集中の情報はマーキーのホームページまたはnoteよりどうぞ。
ファシグラキャンプは生き物なのかもしれない
そろそろお別れの時間。最後はみんなで「ファシグラキャンプを経て。明日の自分をえがこう」をみんなで描きかき。参加者のひとみちゃんからの「かく前に目を瞑って一度想像してから書いてみませんか?」という提案もありがたかったです。
えがいたものを遠くから眺めてみると、何だか生き物みたいだなあと思った私。人の手によって、えがかれた線、塗られた色が人間のように脈打っているかのように見えました。紙から浮き上がってきて、立体化しちゃいそうな感じ。
あー、もしかしてファシグラキャンプ自体が生き物なのか?
今ここにいる人、ここで過ごす時、琴屋という場所が編み込まれて一つの生き物のようだなと私は少しずつ感じていました。例えるなら、アメリカの絵本作家のレオ・レオニの絵本「スイミー」でみんなが集まって大きな一匹の魚になるシーンのような。
人・もの・こと、一つ一つをつぶさに見つめて、さらに俯瞰して遠くからも見つめてみて。みんなが居心地良く過ごせるように事前準備をしてくださった京ちゃん、そしてマーキー。さまざまな思いを持って淡路島まで足を運んでくれた参加者の皆さん。自然の中で、ご飯を作って、食べて、寝て、語って、きいて、かいて、えがく時間を共にする。雨が降ったり、晴れたり、近くに海があったり、トンネルがあったり。それぞれが重なり合って、編みあって、脈打ってる感じ。
帰り際、ふとそれを思い出して、「いやあ、やっぱりファシグラキャンプって生きてんな〜」って私、思ったんですね。はい、めっちゃ抽象的で良くわからん表現だと思います。これはあえて、言葉で表現しようと思わなくてもいいんじゃないかな。へへへ。
ファシグラキャンプを経て、皆それぞれの日常に帰っていく。ここで得た体験を通して、みんなは今、どんな気持ちで日々を過ごしているのだろう。ここで、きいたこと、かいたこと、えがいたもの。時間が経って、何かの時にふとした時に思い出して、心のお守りみたいになってくれたら、いいな。私にとって、この2日間が自分のにとってのお守りになりましたよ〜。
そして、もっともっと、きく・かく・えがくを極めたいと思います。さらなる修行じゃ〜!もちろん、私自身が楽しむことを忘れずに。今まで通り、好奇心、探究心を大切に、見失わずにいこう。
琴屋、そしてみんな、本当に本当にありがとう。
次回は春開催?!また決まったらお知らせします〜。