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鈍行列車の車窓から

記事は書きたい時に書く。
のんびり書く。
そんなこんなんで、調子がでないまま時間が経ってしまった…

2月後半に書き始めた記事だが、早く終えないとそのうち夏になると思い、再び書き始める…

車窓からの風景をのんびり眺めている…
今回は鈍行列車に乗って帰省している。
たまたま、特急の待ち合わせが無かったのである。
noteを書いているときに気がついたのだが、既に特急料金を払っていたのであった。
「なんて勿体無いことを…」

この際だから、途中下車してみようかと…
そんなテレビ番組有ったなあ!

米原から敦賀に向かう北陸本線の車中、車窓からの風景がゆっくり通りすぎる。
進行方向の左に琵琶湖を眺め、右に雪を被る伊吹山が見える。
もう見慣れている風景のはずだが…

のんびり散歩してみたい気分になる…

琵琶湖の北端にある余呉湖

特急の車窓からの眺める風景とはまた違うのが面白い。各駅に乗降する人たちもまた違う。
乗客は地元の人たちである。普段着と荷物から想像する。飾り気のないすべての風景が落ち着く。ちなみに特急では、福井や金沢方面に向かうビジネスマンや観光客らしき人たちからは忙しそうな雰囲気が感じられる…

さて、どこで途中下車しようか…?
最終目的地は敦賀駅であるが、この電車はその途中駅「近江塩津駅」が終点となる。
近江塩津駅は、京都・大阪方面と福井・金沢方面を結ぶ湖西線との合流地点である。

車窓から合流する湖西線が見えてきた。

「乗り継ぎがてら、近江塩津駅で降りてみるか…」近江塩津駅は、福井県と滋賀県との県境にある駅である。駅のホームからは、山に囲まれたのどかな山村風景が見渡せる。塩津は琵琶湖の北端にある町である。平安時代から日本海側と京・大坂を結ぶ物流の要衝となっており、敦賀から塩津に運ばれた日本海側の産物は、琵琶湖北端にある塩津港から船によって京・大坂に運ばれていた。永年繁栄していた地域であったらしい。現在は、国道8号線が物流の要衝となっている。

国道8号線沿いにある近江塩津駅

今では古い町並みを残すのみとなっている。
近江塩津駅からは、少し離れているので、古い町並みを伺うことは出来ないが、機会が有ったら是非見てみたい。
まずは駅周辺だけを散策することにした。
駅を出てみると、正面に国道8号線が見える。
うんん…、何もない…、どうしよう…?

ただただ、のどかである。
周辺何十メートルか歩くが景色は同じである…
畑では、農作業をしている人がいる。
春は近い。
何を植え付けているのだろう…
除雪で積み上がった雪が少し残っているが、今日はだいぶ暖かい。
数日中には溶けそうである。

うーん、そろそろ引き返そう…

駅の待合室はレトロな雰囲気である。
まるで古民家のようなつくりとなっている。
中で缶コーヒーでも飲んでくつろぎたかったが意外と混雑していたので、そのまま構内に向かう。

防空壕のような連絡通路(近江塩津駅)

北陸線の歴史は古い。
明治政府は、日本海と太平洋をつなぐ計画として琵琶湖を運行する鉄道連絡船によって滋賀県の大津から長浜、そして長浜から敦賀までの鉄道敷設を決定し、1884年に長浜から敦賀間が全線開業した。
その後、1912年には東京・新橋から敦賀港を経由してフランス・パリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が運行された。当時はヨーロッパまでの最短であったらしい。

近江塩津駅改札口

へー
昔はこの路線は栄えていたんだろうなあ…
と感心する。
普段、特急に乗っていると単なる通過点でしかない駅であるが、鈍行に乗っていると新しい風景が見えるのが面白い。
スピードが増すにつれて、通りすぎる駅や町が存在していなかったようになるのか…

ホームに戻り、大阪方面から来る電車に乗り込む。車両は3両だっただろうか…
どの車両にも人はまばらである。
終点の敦賀駅までは、あと数駅。

山間部を走り抜くと、高架が見えてきた。

車窓からみる北陸新幹線の橋桁

来年春に開業予定の北陸新幹線敦賀駅に繋がる橋桁である。
再び、東京発敦賀行の列車が走ることになる。
当面敦賀駅が終点となるが、計画としては新大阪まで延伸される予定らしい…

個人的には、
「延伸されなくてもいいんじゃね?」と・・・
終着駅にふさわしい街作りを期待します。

新幹線によってスピードが増し、東京が近くなり益々便利になりそうであるが、鈍行は鈍行の良さがある。
たまには時間をかけて鈍行列車の旅もしてみたい。

北陸新幹線終着駅となる敦賀駅

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