内向的な性格と英語の勉強法で悩む

自分に合った勉強法とはなんなのか。

それを探すのがとても難しいのだ。

「勉強の仕方」から私は知らないといけないくらい、頭が悪い。
冗談じゃなく、頭が悪いのだ。

英語の勉強は楽しくないよと、いろいろな人から言われる。

これはなんか聞いた覚えがあって、私は高校卒業後、社会人経験を重ねて国家資格が取れる学校に通ったことがあるのだが、そのときにも言われた。「勉強ってつらいものだからね」と。

なんだかそれには疑問があって、というか、私は学校に行ったり勉強して資格を取ることで人生が変わっちゃうかもしれない!と思っていた。うきうきの方で。

そのとき初めてみんなと同じ一歩を踏み出して勉強して競争したりして、それがすごく楽しいと思ったし、勉強はつらいものじゃないだろ!と思ったことがある。

また反対に、そういう集団生活を強いられて気づいたのだが、集団行動、一緒に勉強をする、勉強の仕方を共有するというのが果てしなく苦手であることに気づいた。

そして言われた。それが勉強だと。

その学校生活3年間、結局私は「同じペースで勉強するのは心が壊れる」と思い、やりたいときにやりたい科目を、自分のやりたいペースでやるという異端に走ったのだけど、結果として成績はほぼトップで卒業した。

だから、英語も同じで「これが一般的だ」というやり方にとらわれすぎると楽しくないものになってしまって、辞めちゃうんじゃないかなと思っている。

それは、あかんねん。

(でも、脳科学的に証明されていることは知りたいから、勉強法のYouTubeはたまにちらちら見ちゃう。)




私の性格と子ども時代

ここで私の自己紹介というか特徴をいきなり述べる。
私はかなり内向的(ISFP)で、幼少期には重度の場面緘黙症だった。
場面緘黙は過度の緊張で言語や脳の障害はないのに話せなくなる症状。)

英語だけじゃなく、勉強にはアウトプットが大事だとよく言われるし、英語は会話が主だ。もう、まじでね、私という個体と海外の相性が悪すぎる。パないよ。

バカとブスこそ東大へ行け!!!!と、同じくらいの勢いで
お前は母国へ帰れ!!!とスーツを着た脳内の阿部寛が私を指さして叫んでくるのだ。

逆に日本語はどうやって覚えたんだろうと振り返ると、またアマゾンの奥地から記憶を引っ張り出してくるような感覚になる。


幼少期の記憶

3歳くらいから記憶ははっきりある。まず、全然しゃべれなかった。「楽しい」とか「痛い」とか、そういう簡単なことも言えなかった。

それは母親が言っていたことなんだけど、「小さいころに爪と一緒に身も切ったけど、何も言わなかったんだよね。血がダラダラでてたんだけどね。正直、脳に障がいがあると思っていた」とのこと。

感情を言葉で表すことがとても難しかった記憶がある。

恥ずかしすぎて、しゃべれない。

だから、私は本当に気持ちを伝えたいときは手紙を書いたり、別の手段を使って頑張ったこともあった。

幼稚園のとき「おたんじょうびおめでとう」の「め」が「ぬ」なのか「め」なのか分からなくて、それさえ人に聞けなかった。


小学生時代

本格的に日本語を「読む」「書く」ことができるようになったのは小学生に入ってからだった。その時点でも誰かに対して発言することはほぼなかった。

小学生のころも国語の音読時間は保健室に逃げたりしていたので、喋ることはほとんどなかった。


中学生時代

中学で家庭の都合で転校することになり、そこで「何かを変えたい」と思って話すようになった。本当に突然。結局、不登校になるので話し相手はいなくなる。

ここらへんで人生がうまくいかないことに「もうええでしょう!!」とスーツを着た関西弁のピエール瀧が出てくる。


アウトプットへの向き合い方

本当に喋ることができなかった過去を振り返ると、アウトプットがそこまでできなくてもインプットする力が強ければカバーできる範囲はあるのではないかと思った。

ただ、日本語でもツラツラとしゃべることは苦手だし、発音がそもそも違いすぎて無理かもしれない。


自分の性質と勉強法

海外在住の人と話すと「外に出るべき」「人と話すべき」「学習グループに行くべき」といわれるのだが、過去を振り返るとそれは私にとってかなりのダメージが強いことだ。

だから、「やる気がないんだこいつは」と見られたりするときがあるのだけど、結構傷ついている。

本当に自分を変えたいのだが、生まれ持った性質上変えられない部分も多い。

外向的な人が英語を覚えるのが早いのは事実だし、それを見ていると本当に尊敬する。


相性が悪すぎる海外文化

これまで、
人に迷惑をかけないよう、色々なことをあらかじめ知って(インプット)
周囲の邪魔にならないように行動してきて、(空気を読む)
それがうまく仕事のスタイルにフィットしていて、

このスタイルが海外文化とは劇的に相性が悪い。

「言わないと分からないよ」と何度も仮名ジョンに言われている。それ以降は伝えているが、たぶん私はかなり几帳面だ。だから気になることをすべていうと「超~~~~気にしすぎ!」と言われる。そして、忘れられる。ただ、彼含め周りに関してもまじでこれに気づかないのか?と思うことは多々あるので、言葉うんぬん含め、文化的にも合わないのかもしれない。

間違いなく、この人と別れたら異国の人とは付き合わないだろうと思う。
足が臭いことを伝えたら彼はショックを受けていた。

そう考えると、日本人って本当にすごい人種だと思う。


勉強を楽しくするには

楽しく苦にならず勉強を続けていくには、まずインプットを主にしたほうが良いだろうと、自分の性格を考えて思った。

最初は「一気に全部やろう!」と思ったけど、それは無理だと気づいた。周りは「話せ話せ外へ外へ」と言ってくるけど、それを考えると頭が痛くなる。

「何を話せばいいか分からない日本人が多い」とよく英語勉強で書かれているけど、それとはまた違う何を話せばいいのか分からなくなる、であることに気づいた。

間違ったらどうしよう、恥ずかしいとかではない。
そんなこと言ってたら今の職場で仕事なんかできない。
日本の時はどうしてたっけ、と最近よく振り返る。


私は「合コンでは120パーセント負け組」だ。だけど、人と話すことが嫌いなわけじゃない。だからこそ面倒くさいのだ。

お酒が好きで、バーや居酒屋で誰かと話したいなと思うときもある。そんなときは家でワインボトルを1本空けてから店に行く。それくらいしないと人と話せない。重症だ。

最近はそれが身体にも悪いと思い、この国に来てからはあまりやらなくなった。「シャイを直すための心のリハビリ」と思ってる。冗談じゃなく深刻だ。

私の印象は、聞き上手、空気読む、でも意見だけはきっちり言うらしい。
本当に喋っていないことがよくわかる。


アウトプットの経験

そんな私でも、国家資格を取るための学校に通っていたとき、アウトプットの機会が2回あった。

最初は論文の発表。
論文の内容がとても良かったと言われ、選抜されたが、私は断った。しかし無視され、全校生徒と教師の前で発表することになった。

練習発表の際に手が震え、声が出なくなり、教員もその時初めて気づいてくれたが、結局「も~緊張しちゃって~」と無視された。(おい)

結局発表したがその後、緊張のあまり吐きまくり、「もう二度とやらない」と誓った。

次に、国家資格の勉強でグループ学習が強制的に行われたとき。
私はすでに合格ラインに達していたので、適当に勉強するふりをしていたら、周りが変なところでつまずいているのに気づいた。だから教えた。そのときは少人数だったから楽しく教えることができた。

その時に、この人こんな喋るんや、分かってるんやといった顔をされた。


伝えるということ

えっ伝えるって難しくない?

ここまで書いて、私生活で今まで雑談にそこまで触れていなかったことに気づく。

日本でも雑談で私から話すことは(アウトプット)はかなり少ない。
「そうだよね」「そういうことがあったんだ?」「逆にこうかもしれないよね」といった返しはするが、自分の気持ち・自分の体験をその場で言ったことはあまりないかもしれない。帰って考えて、自分はこういう気持ちかもしれない、と気づく。布団のなかで。目を見開いて。

(なんであの人こう言ったんだ?どういう気持ちだったんだ?本当につらかったのかもしれないし、冗談だったかもしれない。えっっ今は考えるんじゃなくて寝る時間。)

目を見開いて、布団のなかでお経を唱える。

それを例えば、その場で考えて話すとなると、きっとどもるし止まるし、結局意味わからなくなるのでもうそれは出川日本語である。(笑)

雑談で伝えるって私のなかでかなりむずかしい。


仕事のときは、
どんな場面でも、仕事で何かを伝えたり教えたりするときも、「わかりやすい」と言われることが多い。それは自分がバカだから、自分のレベルで教えているからだと思う。

人に何かを教えるときは、「バカでもわかる」「誰でもわかる」を意識している。相手が「見て理解するタイプ」なのか、「声で理解するタイプ」なのか、「文字で理解するタイプ」なのかを考え、その人に合った方法を選ぶ。

こういうことを考えると、私は仕事での「インプットからアウトプットへの切り替え」は得意なのかもしれないと思う。



英語に応用できるのか?

でも、これって英語でも有効なんだろうか?

「そんなことどうでもいい、伝わればいい、しゃべらないと不気味がられるぞ」と言う人が大半だ。確かにそうだと思う。でも、どうやったらその「一歩スキップしたとりあえずのアウトプット」ができるのだろう?フランクに?You Knowとか言いながら?性質的に無理なのかもしれないと、すごく考える。

今は仕事で伝えないといけないと思ったときはすごい出川英語がとっさに出てくるけど、もう少しステップアップしたい。最低限自分の仕事スタイルでやっていける英語力が欲しい。

そして、やっぱり行き着くのは「自分を変える」ではなく、「自分に合った方法で」。


それでも英語を話せるようになりたい

でも、それだと一生話さないじゃん!となるのだ。どこかで変えたいと思っている。

文字ではよく跳ねた表現をしていると言われるけど、実際の私はピースの又吉くらいは静かだと思う。相席食堂のちーよじいちゃんと又吉の会のあの雰囲気は、私もよく出してる。

本当に助かっているのは仮名ジョンが真摯に聞いてくれることだ。
まじで訳わからないと「ごめなさいわからない」と言われるw
イヤイヤ英語だったのが最近は自分から進んでやるようになったので
ジョはすごい喜んでいる。


FRIENDSを見始めました。と言ったら、FRIENDSのキャストのようなノリとしゃべり方でアパレントリィ~を連発してくるようになった。


正直、当の本人は心配だらけである。




海外在住で陰キャで同じような人はいないのだろうか?

どうやってそこでうまく暮らしているのだろうか。

っていうか、外国人で静かで話さない人はいるのだろうか、そりゃいるか。

そういう人はどう生きているのだろうか。


アマゾンの奥地からまたごちゃごちゃとした茎のようなものに絡まってしまいました。

では、また会いましょう。


※考えすぎの自覚はあるので、それに対してのコメントならおすすめの本を教えてください。マインドコントロール的な


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