あの頃乃木坂にいた人たちの10年後、あの頃の乃木坂の10年後

羽根の記憶が発表されて、来年でちょうど10年。
なんというか、ついにそんな日が目前まで来たというのが感慨深い。
さらにその頃のメンバーがもう誰も残っていないというのも時の流れを感じられました。
乃木坂の歌詞で出てくる「ここ」は乃木坂を指していることが多いんですが、この曲では「どこにいるのだろう?」とあり、10年後には乃木坂を卒業している予感があったのかなと思います。

乃木坂は「彼女と私」の物語です。
「君と一緒にいて笑っていられたらいい」の歌詞がまさにそれを表している。
それと、下記の記事でも書いたように、乃木坂は卒業後に友達になるということがよくあります。

「友達のままで」とあるのも、もしかすると卒業後であると暗示していたのかも。

ここまでは考察といえないというか、歌詞をほぼそのまま読んだようなもの。
もう少し考えてみたい。

一部がメンバーではなく、乃木坂のことを歌っているのではないかと仮説を立てました。

例えばこれ。
「景色だけはきっと変わらない」の部分は、乃木坂は変わっていっても大事なものは変わらないということかも。
ただそれより気になるのが前半部分です。
木漏れ日→日光ということで太陽というのもあるし、木ってのがどうしても引っかかる。
木漏れ日の街路樹、美しい風景ですが、それはこの木々が街路樹で留まっていたらの話。
というのも、変化していく乃木坂を歌っている三番目の風、絶望の一秒前にも木は出てくる。
三番目の風では「鬱蒼とした森」「重なる木々 太陽のない世界」、絶望の一秒前では「木々は何に怯えるのか」と、あまりいい印象がないんです。
これらの2曲では、森や木々は変化を恐れて新しいものを受け入れられないネガティヴなものとして描かれています。
新しいものを受け入れられない木々なので、当然乃木坂を作ってきた1、2期生しかいない羽根の記憶当時では穏やかなもんです。

乃木坂の物語において、3期生の加入は大きなターニングポイント。
カーテンの中の太陽と彼女と私という閉じた世界、そんな彼女と私が気付かれる瞬間は、風が吹いてカーテンがふわりと広がった時なんです。

ここ、近年の乃木坂を表している感じがする。
齋藤飛鳥卒業コンサートでフルで披露された「キャラバンは眠らない」では「鳥の声に詩が生まれたか」とあります。
この鳥が飛鳥ちゃんを表しているんじゃあないかと考察していたんですが、羽根の記憶で出てくる鳥も一部飛鳥ちゃんとか、当時のメンバーを表しているのかもと思いました。
鳥がメンバーというより、鳥のように羽ばたいていくのがメンバーというか。
また、大園桃子がいる3期生が三番目の風という説を主張しておりまして、それ故に大園が卒業後の3期生に不安定さ、危うさを感じていたんですが、乃木坂第二部を経て、改めて今の乃木坂は三番目の風になったはず。
その時、つまり卒業の時期が来て乃木坂から飛び立った1、2期生。
そこに未来の答えを手にした3期生によって風が吹き、新しい乃木坂になるという歌詞かも知れない。

この曲で空が出てくるのも、3代目キャプテン梅澤美波センター曲の「空扉」と繋がりそうでいいんですが、一旦この辺にしておきます。

あの頃乃木坂にいた彼女たちが、今もしあわせで笑っていてくれることを祈るばかりです。

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