ぐるぐるカーテンの歌詞は未来予想図だ
乃木坂のコンセプトはこの曲でほぼ全て歌われていました。
この曲がすべてと言っても過言ではないかも知れない。
いや、本当に。
カーテンの中
太陽と彼女と私
ぐるぐる包まれたプライバシー
何を話してるのか?
教えないよ
もうほぼすべて歌われてしまったかも知れない。
乃木坂は、カーテンの中の彼女と私の物語なんです。
メインストーリーからサブストーリーまで、すべてこれ。
この曲以降に出る乃木坂の曲のほとんどは「僕」と「君」が登場人物として出ていますが、このデビュー曲では「彼女」と「私」で、「女の子なら」とか、「男子禁制」で、明確に歌詞の主人公が女性であることを決定づけている。
この曲があるから、後の楽曲が僕と君で男女を表してそうでも、新しい世界で男性同士の恋愛を歌ってそうでも、基本は乃木坂内のメンバー同士の関係性を歌っている曲と取れるようになる。
太陽と彼女と私。つまり、乃木坂と、彼女と私です。
そして乃木坂は劇場がなかったり、握手会だのミーグリがどれだけ売れていようとも選抜に選ばれない可能性があるなど、ファンとの間に明確な線が引かれているグループなので、「カーテンの中」なんです。
クラスの中心人物の女の子がAKBとするなら、乃木坂は目立たないけど綺麗な人。
カーテンの中にいるから、まだ近くにいる男子しか気づいていない。
ところで、AKBが「会いに行けるアイドル」というコンセプトなのは、握手会があるからではないと個人的には思っていて、むしろ劇場の方がそのコンセプトに沿っているのではないでしょうか。
(もちろん、握手会もその要素の一つではあると思うけれど。)
劇場に行けば公演が見られるAKBに対して、乃木坂にとっての劇場的な役割を持つのは、テレビ番組の乃木どこや乃木中。
テレビの向こうの存在だったアイドルを、会いに行けるアイドルとして身近にしたAKBと同じような売り方と見せかけて、明確にカーテンという境界線を引いたのが乃木坂です。
カーテンの中
そよ風と花の香りと
ぬくもりを包むシークレット
誰に恋したのか
そうよ 女の子なら
いつだって死角になる場所くらい
こんな時のために確保してる
男子禁制
1サビ。
ここで「そよ風」「花」が出ているのが素晴らしい。
ちなみにここでのそよ風は3期生を指していないと思っています。
花は後に加入する2期生。
3期生は三番目の風なので、「三番目」である必要がある。
新しい向きに吹き抜けるのが三番目の風。
ぐるぐるカーテンにおけるそよ風がひとつ目、生駒に向かって吹いていた強い逆風がふたつ目。
3期生を表す風は後半で出てきます。
開いた窓
吹き込んだ風が
胸の奥のカーテン
恋の妄想膨らませてる
大サビ前のCメロなんですが、ここやばいんです。
過去の考察でもここには触れてきました。
知る人ぞ知る存在であった乃木坂は、3期生の加入によって一気に知れ渡りました。
風が吹いてカーテンが広がり、カーテンの中の「彼女」と「私」が教室中に見つかったというわけです。
そして、ここで「恋」が出てくるんです。これに関しては完全に偶然やと自分でもわかっているんですが、乃木坂で3期生大園桃子に関わる楽曲には、必ず「恋」が出てくるんです。
つまりこのCメロが乃木坂第一部がクライマックスに向かう3期生の加入を暗示している、という妄想。
ここから一旦戻って、Bメロについて。
「あのね」
「私ね」
ぴったり身体寄せ
ひとつになったら何だって
わかり合える
(彼女と私)
これは乃木坂のメンバー同士の距離の近さとか、わちゃわちゃ感を表している。
だから「彼女と私」でサビに入るんです。
真に秋元康の凄さが出るのは、次のBメロ。
「平気」
「大丈夫」
心に近づいて
涙を拭ったり
抱きしめて
聞いてあげる
(誰かと誰か)
この歌詞で「誰かと誰か」になるのが本当にやばい。
シンクロニシティは、横断歩道の近くにいる誰かと悲しみを分かち合う歌。
Sing Outも、人と人はそう簡単にわかり合えるわけないと歌っている。
彼女と私はわかり合えるけれど、わかり合えない「誰か」もいる。
乃木坂は、見知らぬ誰かの悲しみを分かち合い、わかり合えない誰かの幸せを願うグループなんです。
この時点で、シンクロニシティやSingOut!にも繋がる要素は散りばめられていた。
改めて、完璧すぎるデビュー曲でした。
あとは歌詞にもある通り、あくまで男子禁制なので、その辺りも節度を持って楽しんでいきたいものです。