乃木坂について考える

すべて僕の妄想で、勝手なことを書いています。

8月19日に掛橋沙耶香が卒業する。
率直に言って、寂しい。卒業はいつだって寂しい。
アイドルに限らず、卒業という言葉に対する不思議な感情がある。
嫌いと言い切るほどではないけれど、少なくともいい感情ではない。初めて違和感を覚えたのは、何かの番組でレギュラーで出ていたタレントが「番組卒業」と言われているのを見た時。
どの番組かも、どのタレントかも覚えていない。ただ、子供心に何かを成し遂げたふうには見えず、人気がなくなったから、あるいは旬を過ぎたからクビになったとしか思えなかった。
それでも、分厚いオブラートに包むことで、遣る瀬無い気持ちを軟着陸させる行き場を用意してくれる側面もあるから、この言葉に救われる人も少なからずいるのだろう。

掛橋のブログを読んで、改めて感じたことがある。
乃木坂は閉じた世界で、それだけで完結している。
アイドルである以上、ファンを相手にする職業というのは紛れもない事実ではある。ただ、乃木坂ファンでアイドルファンではない僕には、他のアイドルとは違うように見えた。
これは決して乃木坂がファンを大切にしていないというわけではなく、どこか地続きではないというか。そもそもアイドルとファンの間には隔たりがあって当然なのだけれど、握手会をしたり、定期的なSHOWROOM配信があったり、やっていることはファンとの距離感が近そうに見えるのに、深く関われない空気感がある。
グループとしての乃木坂に漂う神聖な空気感がそう思わせているのだろうか。
卒業した秋元真夏が握手会などのファンとの交流を大切にしていたり、弓木奈於がラジオなどでも頻繁にファンを想った発言をしているにも関わらず、乃木坂のグループ内だけで完結しているように見えるのは、それらが「アイドル」の秋元真夏や弓木奈於であり、それとは別に「乃木坂」の秋元真夏や弓木奈於がいるからなのかもしれない。
アイドルの秋元真夏として握手会をする。MVなどの映像作品では乃木坂の秋元真夏として、乃木坂の神聖な世界観を表現しているような。
乃木坂で初めてアイドルファンになり、その上で他のアイドルにハマっていない僕にとっては、その空気感が美しいものに見える。

「一緒に過ごした時は、私たちだけの青春でした」
掛橋のブログでこの一文に乃木坂の神聖さを改めて感じた。
「カーテンの中 太陽と彼女と私」
乃木坂はぐるぐるカーテンの歌詞の世界にいる。
ファンが立ち入れない秘密の場所で、彼女たちだけの青春のひとときが幸せなものであってほしいと願うばかりだ。

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