逃げ水について本気出して考えてみた

ポルノグラフィティか!待ちです。

そんなことはさておき、とびきりの熱量で本気出して考えてみました。
ぜひ最後まで読んでください。

今回考えていく中でたどり着いた結論から書きます。
この曲、与田祐希視点の与田桃卒業曲なんです。
与田の卒業までの流れが、この逃げ水に繋がるようになっていたのではないかと思うほどに、卒業曲として完璧。
考察する上で、常に意識しているのは時間軸と、歌詞に出てくる「君」や「僕」が誰かということ。
この曲には「君」が2番にしか出てこない。
「僕」は与田、「君」は大園桃子。
お願いします、そういうものだと思って読んでください。

日差しに切り取られた
市営球場から聴こえて来る
ひと夏の熱狂は
どれくらい風が吹けば醒めてくのか?

逃げ水の最大の特徴はやっぱりサビ前の「月の光」ですが、その曲の歌い出しが「日差し」ってのがすごい。
「ひと夏の熱狂はどれくらい風が吹けば醒めてくのか?」
この部分も最高。
風といえば3期生。3期生の活躍を「風が吹けば」で表している。
ひと夏の熱狂が、風が吹いて、醒める。熱狂は市営球場から聴こえて来る。
「ひと夏の熱狂」と同義語として、三番目の風に出てくる「鬱蒼とした森」があるかもしれない。
つまり、アンチ3期生の風潮。乃木坂に新メンバーはいらないという古い固定観念です。
1期生の象徴的な楽曲はいくつかありますが、制服のマネキンは欠かせないでしょう。歌詞の中、「河川敷の野球場」が出て来るんです。
今となってはそんな「熱狂」は完全に醒めています。

自分の声が
他人のように響くよ
客観的過ぎるのだろう
いつの日からか 僕は大人になって
走らなくなった

ここは現在、というより、少しだけ前の与田の心境ではないかと思いました。
具体的にいつかは分かりませんが、卒業を決意した時なのかもしれません。

ミラージュ 遠くから見た時
道の向こう側に水たまりがあったんだ
近づいたらふいに消えてしまった
目指して来たのに
どこへ行った? あの夢

今、この歌詞がめちゃめちゃ沁みる。
「あの夢」は、「道の向こう側」に見えた水たまり。
与田が2月に卒業なので、38thを与田卒業センターするとしたら、あまりにプロモーション期間が短すぎる。
エース級の与田卒業シングルを出すなら、年末の音楽番組に合わせた方がいい。
そういった理由から、おそらく与田にとって最後に参加したシングルが歩道橋になるはず。
歩道橋って、「道の向こう側」に渡る歌なんです。
道の向こうに渡った先で、大人になった「僕」が、あの頃見た夢がないことに気づいたというのが、今の逃げ水。
これはネガティヴなものではなく、かつて追い求めていた「乃木坂らしさ」は蜃気楼のようなもので、今はそれとは違う新しい乃木坂になったという風にも考えられそうです。
別記事でも書いてきましたが、夢=乃木坂と代入するとしっくりくることが多い。

芝生のスプリンクラー
過ぎるその季節を止めようとする
半袖を着た女(ひと)は
カーディガンをいつ肩に羽織るのか?

この歌詞の注目点は「その女(ひと)」。
乃木坂で性別を確定させているのは実は少なくて、「僕」も「君」も男女どちらでも成立するようになっている。
このタイミングで女性としているので、これは乃木坂のメンバーを表していると思われます。
「過ぎる季節を止めようと」している。これは、変化を受け入れられないということに通ずるので、actuallyのMVにおける山下美月と近い意味を持っていると思われます。
なので、その女(ひと)は自分を認められるようになる前のくぼしたがピッタリ。
ここから予想されるのは、1番が現在や少し前の時間軸だとして、2番はさらに前。
まだ乃木坂が世代交代する前、新しい乃木坂になる前です。

やりたいことは
いつもいっぱいあったのに
できない理由探していた
君と出会って青春時代のように
夢中になれたよ

ここで初めて「君」が登場します。
「君」が大園桃子やとすると、ここめっちゃ泣けません?
大園卒業後、与田桃のペアとして活動していた期間を回顧している部分。
1番では「僕は大人になって」とありますが、「君」と出会った頃は青春時代だった。

ミラージュ 僕が見ているもの
それが真実でも幻でも構わない
今確かに僕の目に映るなら
逃げてしまっても
追いかけたい この恋

全部夢のまま考察でも触れましたが、大園桃子と「恋」って結びつくんですよ。
思い出ファーストでも、毎日がBrand new dayでも、大園桃子が中心にいそうな曲には恋が出て来るんです。
「逃げてしまっても」というのが、ひと足さきに卒業してしまった大園に当てはまる。
この恋っていうのが、もしかすると全部夢のままのラスサビ部分に繋がるのかもしれない。
夢のまま、ずっと続く恋。

大事なものはいつだって
あやふやな存在
手を伸ばしても何も触れられない
でもそこにあるってこと
信じるまっすぐさが
生きてく力だよ

この部分、2023年の神宮で衝撃を受けたんです。
乃木坂らしさはあやふや、曖昧なもの。
ついでにこの考察読んでほしい。

3期生が追い求めていた乃木坂らしさは幻だった。
でも、根底にある愛は変わらない。
それに気付けたから、乃木坂は新しい乃木坂になれたと思っています。

ミラージュ 遠くから見た時
道の向こう側に水たまりがあったんだ
近づいたらふいに消えてしまった
目指して来たのに
どこへ行った? あの夢

最後のサビ。
ここについては、1番と同じ意味でもいい気がする。
あまりに1番の歌詞として、完璧すぎて、いきなり意味が全て伝わる。
というか、本来ラスサビまでの歌詞を経てサビに込められた意味が分かるんですが、逃げ水に関してはその後の大園卒業とか、二度見とか、歩道橋を経てサビの意味が分かったという感じ。

で、ここからは歌詞以外の部分について。
サビ前のドビュッシー「月の光」の部分。
僕はそもそも月の光が大好きというのと、全員が静止している中、Wセンターだけが歩いてくる振り付けも大好きで、だからこそ客席も止まっててほしいんです。
サビに向けて盛り上がったところで、突然差し込まれる月の光。
3期生は風であり、太陽が沈んだ後、新しい世代が歩いていけるよう足元を照らす月ではないかと思っています。
与田桃以外の静止している1、2期生が太陽とすると、月の光が差しているのは日没後なので静止している。
サビまでの曲の盛り上がりがひと夏の熱狂、そんな中、日没とともに1、2期生がいなくなった未来でも足元を照らし、新たな夜明けを待つ与田桃。
なので僕の感覚としては月の光は当時いつか来るはずだった未来なんです。
でも、大園は先に卒業してしまった。

乃木坂を第1部、第2部と部ごとに分けてその役割について考えると、与田は第1部の登場人物なんです。
与田祐希に「上がった」感を感じたことがある人は僕以外にも結構いる気がする。
どこか超越した感じというか、物語の外にいるというか。
向井葉月は変わっていく乃木坂と、自分の中の乃木坂とのギャップに悩んだことがあったといいます。
だから向井は歩道橋を渡らなかった。
与田は歩道橋を渡ったんです。なぜ渡ったと思いますか。
乃木坂の3期生は、鬱蒼とした森を吹き飛ばし、新たな世代を迎え入れる役目を持っていました。
ですが、その後の3期生は、変化を受け入れられなかったり、自分を認められなかったり、とにかく自己肯定感が低かった。三番目の風になれていなかった印象です。
なぜなら、三番目の風は、センターに大園桃子がいて成立するからなんです。
もちろんその後、自分を認められるようになった3期生は三番目の風として新しい乃木坂になったんですが、やはり三番目の風は大園桃子がいてこそ。
歩道橋に出てくる道路の「こっち」と「あっち」の違いは、やはりかつての乃木坂と、これからの乃木坂がいいのかなと思います。
かつての乃木坂は1、2期生の乃木坂なので、かつての乃木坂を愛する向井葉月は渡らなかった。
これからの乃木坂は大園桃子がセンターの三番目の風によって作られる乃木坂なので、与田は渡って、その上で夢の中にいるのではなく、現実に戻ることを選んだのかも。

当時の逃げ水は、いつか卒業していく先輩と、その後乃木坂を支えるふたりという構図。
今の逃げ水はどうかというと、与田は逃げ水最後のオリメンです。
そんな与田が、みんなが止まっている中、月の光とともに歩くというのは、乃木坂から卒業していくという今の状態にマッチするんです。
Wセンターの楽曲なので、今までの傾向から大園の位置には岩本が入るとは思うんですが、できれば最後の逃げ水は与田がセンターで、大園の位置を空けて披露してほしい。
大園と仲がいい岩本が入るのも、大園の思いを繋ぐ感じがして好きではあるんですが、これからも乃木坂にいるメンバーと、卒業していく与田というフォーメーションが一番いいのではないかと思っています。

これらを踏まえて考えると、月の光は与田が乃木坂から出ていくという振り付けになるので、卒業を取り消してと言った梅のように、まだ乃木坂にいてほしいという思いを込めてその名前を叫ぶ気持ち、大いに分かります。

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