SingOut!のMVにアンダーが出なかった理由をでっち上げる
今回、さも事実であるかの様に書いていきますが、全て妄想でございます。
今回っていうか、いつもでした。あくまで自分用備忘録なので、読み流してください。
SingOut!のMVにはダンサーの方が出演しています。
このMVが公開されたとき(もしかすると今でも?)こんな意見がありました。
「ダンサーを使うくらいならアンダーメンバーを出してくれ」
確かにもっともな意見だとは思います。
過去でいうと、制服のマネキンのMVには柏を除くアンダーメンバーがバックダンサーとして出演していた前例がありました。監督も同じ池田監督。
多幸感のある楽曲にも乃木坂全員が出る方がテーマに合うのではないかと思うのも当然。
ただ、そうしてはいけない理由があったんです。
乃木坂のメンバーだけであのMVをやっては、楽曲が伝えたいことが全て伝わらないんじゃあないか。
そんな理由について、今回書いていきます。
この曲「孤独」がとても重要な単語として出てくる。
「一人ぼっちじゃないんだよ」「仲間の声が聞こえるか」とか、こういうメッセージがあるのは、孤独を感じているからこそなんです。
もう少し補足すると、「群衆の中で感じる孤独」
不特定多数の無関係な他人の中の小さなコミュニティというのが鍵です。
そもそも、前提として、選抜の人数じゃ足りないから人を増やすためにダンサーを入れたわけではないんです。
この部分からも、単純に「みんな幸せ!」みたいな曲ではないということがわかります。
ここは乃木坂らしさというか、「落ち込んだ時に何をいうでもなくそばにいてくれた」というエピソードとも繋がるんですが、その上で「分かり合えるわけないだろう」とあるのが印象的。
みんな仲間!とか、分かり合えるよ!ではないんです。
サビの歌詞でも、「風に乗って飛んで行け」とか「存在に気づくように踏み鳴らせ」とか、伝えたい相手は側にいないんです。手が届かない、目が届かないところにいる孤独な「ここにいない誰か」に向けて、愛を伝えるのがこの曲。
これから何度も書くことになると思いますが、乃木坂はかなり排他的な側面があります。
カーテンの中の太陽と彼女と私、それが乃木坂の世界なので、もしダンサーではなくアンダーメンバーでやったとしたら、この曲が持っている哀愁がうまく伝わらなくなってしまう。
見知らぬ他人の中、孤独を感じているけれど、いつか自分のしあわせを分け合えて笑顔が広がればいいという、まだ届かない願いがこの曲にはあるので、不特定多数の見知らぬ他人として、ダンサーが出ているのではないかと思うんです。
ここからはもう一度改めてMVを見ていただきたい。
特に注目して欲しいのが2番サビ部分。
ダンサーを交えての全員でのダンスの後、ダンサーがいなくなって乃木坂だけになるシーンがあります。
2:48あたり、急に寂しいんです。
それまでの大人数とのギャップもあるし、余白も多くて、孤独感、寂しさを意識させようとしている気がするんです。
このMVを見たときに、連想したものがあります。
乃木坂がデビュー曲「ぐるぐるカーテン」を披露した、AKBのリクアワでの小さな円陣です。
48グループの巨大な円陣のそばで、乃木坂が身を寄せ合って小さな円陣を組んでいた姿が印象的でした。
SingOut!が乃木坂第一部の大団円の楽曲なので、AKBを超えると宣言したあの日の円陣からここに繋がると考えるとぐっときます。
サムネもステージの乃木坂と、それ以外のダンサーという感じでいい。
想像して欲しいんですけど、ここでダンサーの位置にアンダーがいると寂しくないですか?
走れバイシクルを披露するとき、アンダーメンバーに幕を開ける役をやらせたみたいな、残酷な演出になってしまうんです。
世界中の人と分かり合えることはなくても、誰かの幸せを願いたい。
誰かの憂鬱や胸の痛みと共鳴して、そっと涙を流したい。
この精神性が乃木坂。
だから、見知らぬ他人としてダンサーが絶対に必要だったし、同じ仲間のアンダーメンバーを出すわけにはいかなかったんです。
改めて素晴らしい楽曲、素晴らしいMV。
以上の考察を踏まえて、ぜひもう一度じっくり観直してみてください。
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