思い出が止まらなくなるの考察が止まらない

オリジナルセンターではないシチュエーションで披露されることで楽曲が完成する。
比喩が多く登場する秋元康の歌詞ではこういうことがよく起こります。
37thアンダーライブでもそれが起こった気がするので、考察してみます。
タイトル通り、楽曲は思い出が止まらなくなる。中西アルノがセンターのアンダー曲です。

37thアンダーライブで冨里がセンターに立った楽曲は、自身がオリジナルセンターのそれまでの猶予、考えないようにするを含む8曲。
定番の乃木坂の詩と上記2曲以外は、乃木坂第一部の表題曲、と、思い出が止まらなくなる。
それまでの猶予に古い体育館が出てくることから、冨里には過去の乃木坂の代表的な楽曲をあてているのではないかと思いました。
とすると、そこに思い出が止まらなくなるが含まれるのがやや違和感。もちろん、アンダーライブということを考えれば、思い出が止まらなくなるをやるのは当たり前の話なんですが、今回のアンダラは、オリジナルセンターの佐藤楓がいるにもかかわらず、届かなくたってではなく、池田瑛紗がセンターの心にもないことを佐藤楓センターで披露している。
アンダー曲でも披露していない曲があるので、「アンダー曲だから披露した」というだけではない別の大きな理由があるのではないか。

思い出が止まらなくなるもまた、変化を受け入れられない曲なんです。
注目したいフレーズ、たくさんあります。歌詞で出てくる順で書いていきます。

「なぜに君だけがここにいないのだろう」
「君」はもう「ここ」にはいない。乃木坂の楽曲での「ここ」はグループとしての乃木坂を表しがち。

「どこからか聴こえてきた Car radioからのオールディーズ」
オールディーズは昔の流行歌。これがかつての乃木坂の楽曲を指しているのではないか。

「目の前のしあわせ気づかなかったよ」
しあわせの保護色が印象的なひらがな表記の「しあわせ」
ひらがな表記のしあわせが出てくる曲にも共通点があるように思えるので、いずれまとめます。
ここでは簡単に、保護色と同じような意味と仮定しておきます。しあわせ考察したら別の意味が見つかるかも。

「僕たちのあの夏の日」
乃木坂の歌詞には夏がやたら出てくる。

「さざ波が寄せては返すように」
さざ波といえば、さざ波は戻らない。今回アンダラでは披露していないんです。
さざ波が戻らないは、別れの曲です。それもかつての乃木坂との別れを描いている。

僕が鈍感すぎた夏

さざ波は戻らない

僕たちのあの夏の日って、歩道橋で別れたあの夏?
ちょっと先にいきますが、
「都会で背中を見送った」「喧騒に紛れて聴こえない」って出てくるんです。

そして君の背中は
雑踏に紛れ消えて行く
記憶の波に攫われ
愛はどこへ流される
あの日僕らが出会った原宿で
サヨナラを言うとは思わなかった

さざ波は戻らない

いや、これは流石に同じこと歌ってません?
思い出が止まらなくなるのさざ波は、寄せては返すさざ波のように、「僕たちのあの夏の日」をキリがないほどに何度も思い出しているという比喩で出てきている。
実際のさざ波は戻ることなく、何も後悔がないまま、一度も振り向かない。

「星空に届きそうな岬の灯台の光 暗闇を照らすには限界がある」
暗闇を完全に照らして明るくするために必要なのは、灯台の光ではなく、夜明け。

「ずっとこのままだと信じていたのに この地球が自転すれば少しずつ変化する」
夜が明けるのは地球が自転しているから。夜が来るのも地球が自転しているから。
乃木坂が変化し続けるグループであるということを表しているのかも。

「人は誰も忘れるものだ それだから立ち直れる」
忘れる。何を?

「だけどなぜか瞼に浮かぶのは 手を翳した日差しの中 青春の残像よ」
青春を、大人の対義語として考えてみます。
大人になってから、かつての青春時代を思い出している状態。
大人になったら、どんな夢も覚めるというのがそれまでの猶予。

誰も夢から覚めるけど
せめてその続きをみようって寝返り打つよね
目をそっとまた瞑り 楽しかった物語を
一生懸命思い出すんだ
ああ 夢は一度じゃないよ
ベッドの中で二度寝するようにまた見てみればいい

人は夢を二度見る

「人は誰も忘れる」が指しているもの、夢ではないでしょうか。
この曲では、大人になって夢を忘れている。夢を忘れて、「君」との思い出を何度も何度も思い返している。
「夢」が二度見における夢と同義なら、新しい乃木坂になるということ。
いつまでもかつての乃木坂との思い出に浸っている「僕」は、二度目の夢がまだ見られていない状態ということではないでしょうか。

「もう少しだけこのままいさせて 思い出の中の心地いい場所で」
心地いい場所が、かつての乃木坂です。
アンコールで冨里がセンターに立った曲、帰り道は遠回りしたくなるは、「居心地いい日向」から「一歩目踏み出そう」という歌です。

思い出が止まらなくなるは、大人になって、青春の残像に想いをはせる曲。夢を忘れてしまっている曲。
大人になったら夢は見られない、二度目の夢を見られないと思い込んでいるままでは、まだ学生で青春時代を生きている冨里奈央にいずれ訪れる未来。
「決められたレール」の先にあるものです。

決められたレールの上はつまらない

日常

日常を経て、アンコールで帰り道をやるために、起こりえた「もしもの未来」として、思い出が止まらなくなるを披露したのかも。

では最後に、なぜオリジナルセンターが中西アルノなのか。
それは中西アルノが「変化の象徴」であり、同時に「過去に囚われている」存在だからです。
変化を恐れる、変化を肯定する。そんなテーマのActually。
変化を恐れる象徴として山下美月。変化を肯定する象徴として齋藤飛鳥。
だからWセンターバージョンで齋藤飛鳥は山下の腕を引っ張る。
変化を恐れる山下は、ドラマMVで変化を恐れるあまり、変化の象徴、新しい存在の中西アルノを閉じ込めてしまう。
また、中西アルノ自身も一番隠したい秘密があり、太陽から目を逸らし、二度目の夢を見られない状態です。
すなわち、どん底にいて、井上和が伸ばした手を握れない状態。
灯台の光は星空に届きそうではあるけれど、暗闇を照らせない。
手を握れなかった「あの頃の君」が何を悩んでいたかもわからない。

思い出の中の心地いい場所というのは、「自分がいない過去の乃木坂」を指しているのかも知れません。
変化を恐れるあまり閉じ込められた「変化の象徴」は、自身も過去に囚われ、閉じこもってしまった。
だから井上和は「太陽の下に出よう」と手を伸ばしたのでしょう。

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