やるべきことは少ないほうが生きやすいかもしれない
「やらなければ」「~すべきだ」
人生の中でそう思う機会はかなり多いと思う。でも、あまりにもやるべきことが多すぎると、つらくなってしまう気がする。
”やるべき”は、自発的にしたいわけではなく、義務的な意味合いが強い言葉。つまり、不本意(自分の心はしたいと思っていない)だけど、取り組むのが望ましいときに使われることが多い。
当たり前だけど、仕事や予定を詰め込んだり新しいことを始めたりすると、やるべきが増える。やるべきが増えると、リソースが減る。リソースが減って余裕がなくなると、新しい事柄への対処が難しくなる。
たとえば仕事を詰め込むあまり、家族や恋人に関するプライベートな時間に問題が出てくるかもしれない。配偶者や子どもがヘルプを出していても、自分に余裕がなければ寄り添えなくなる。
また、時間だけじゃなく心にもリソースがあって、心的資源と呼ばれたりする。心にもゲージがあるとイメージすると良いかもしれない。心的資源が枯渇すると、さまざまなことに注意を向けるのが難しくなる。余裕がないと自分にも他人にも優しくなれない。
日常生活に支障が出ているのであれば、やるべきの荷を下ろすべきかもしれない。つまり、できるだけ「やるべき」を減らして「やりたいこと」を増やした状態が望ましいのかもしれない。
わたしはフリーランスで、受注先は分散させたほうがよいと良くいわれる。受注先が少数であれば、一つの企業から仕事がもらえなくなっただけで、収入が驚くほど減ってしまうから。たしかにリスクヘッジのためには、取引先を沢山増やすほうが良いと思う。
ただ、わたしの場合は沢山の企業から受注するほど余裕がなくなる。おそらくたぶん、考えることが多くなり、やるべきことの質量が増えるからだと思う。
一社であれば、やることの種類は限られる。それが5社になると、5パターンの仕事スタイルをこなす必要がある。企業によって求められる仕事は異なるわけで、臨機応変に対応していかないといけない。
もちろん、リスクを減らすうえでは受注先を分散させたほうがいい。ただ、自分の幸せを追求するのであれば、一社に偏るスタイルは悪くないのではとも思う。取引があまりに多いと、自分がやるべきことに追われている状況を作りやすくする気がするから。不測の事態が起きても、慌てず対処できるほどの余裕を残しておくのが良い。
可能であるなら、やるべきことに追われるよりも、自分から追いかけるほうが良いのだと思う。目標であったり、自発的にやりたいと思える気持ちであったり。
長い長い目標を設定すると、達成するまでモチベーションは続かないことが多い。「この仕事を終わらせることで得られるメリットは何か」と目先のメリットを強く意識することで、やるべきことの負担感は軽減されるのかも。
やるべきことに対して「メリットがあるからがんばる」という動機があるのとないのとでは、やる気に大きな差が生まれると思う。掃除一つにしても、「掃除すると部屋の中がすっきりして過ごしやすくなるし、気分も良くなる」とイメージする。そうすると、重い腰が少し上がりやすくなるかもしれない。
大きな目標に向かっていくなら、小さな目標を沢山作って、何度も達成感を味わって進むほうがいい。ちょっとした一仕事であっても、分割していくと楽しくなるかもしれない。やるべきことを「やりたい」「楽しい」に変えてしまう作戦で進めていく。
そもそも人間は不合理な選択をしてしまうものらしい。たしかにみんな合理的に進んでいけるなら、全員大成功しているはず。やりたくないけどやったほうがいいことになかなか取り組めないのも納得できるかもしれない。
どうしても義務的にしなければいけないことは、可能な限り減らして、本質的にすべきことのみに絞りこむ。そして、なかなか腰が上がらないことには「メリットを意識する」「目標を細分化する」あと「ご褒美を設定する」のも効果があると思う。
ご褒美やメリットはしっかり明確に意識することで、やる気が生まれやすい気がする。「この仕事が終わったらこんなにいいことがあるんだ」とちゃんと意識化する。
これらを意識して、終わらせなければいけない仕事も楽しんでやっていきたい。