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「Shakespeare's R&J」 ~R&J/シェイクスピアのロミオとジュリエット~感想 その2

”はじめに”

 今週もまた2日つづけて観てきました。観るたびに新しい気付きと解釈が浮かびあがってきて、本当に奥深い作品だなとおもいます。
 今回の感想は、前回の訂正あるいは修正だったり、また違う解釈であったりといった感じになるかとおもいますので、未読の方はぜひ一読いただければ幸いです。

”朗読であること”

 前回完全に失念していたことですが、彼らは実際にはロミジュリをリーディング(読み上げ)しているだけで、演劇をしているわけではないのです。つまり舞台上で演じられている内容は、実際には朗読している彼らの心象風景にすぎないのです。
 それを思い出したのは、キャピュレット卿という権力者の役の威を借りて、学生2演じるジュリエットにモップをかけたりズボンを下ろしたりするシーン。ここでの行動があまりにも現実的な表現すぎて違和感をおぼえていました。そしてこの違和感が、虚構内現実では「朗読」であることを思い出させてくれました。そう、彼らがキャピュレット卿のセリフを読み上げ(実際にわざわざ原作本を手にしています)ながら思い描いたのが「弱い者イジメ」だったということです。
 虚構内虚構の虚構化という三重の構成だとすれば、これはもう一段解釈を深めなくてはいけなくて、さすがにあたまが痛くなります笑。

”学生3と嫉妬”

 前回書いた感想の中であきらかに間違っていた点があったので、まずは訂正から。
 結婚式で最初に原作本を取り上げたのは学生3と書きましたが、実際には学生4からで、このシーンは学生3の嫉妬ありきではなく、学生4の遊び心から学生3が自身の気持ちに気付くシーンでした。そこで気付いたのが「嫉妬」であることに変わりはないですが。
 中盤の鍵となる、この学生3の「嫉妬」は何に対する嫉妬なのか。前回は学生1への想いがこじれたものとして書きましたが、今回感じたのは、恋心ではなく、4人一緒であったはずなのに学生1と2がロミジュリにのめり込んでしまって自分が置いていかれてしまった事への「嫉妬」なのかもしれないとおもいました。
 とはいえ、そう思ったことに確固たる理由となるシーンがあるわけではなく、学生4の感情と被ってしまうので、ただ初見のバイアスを否定してみたいだけなのかもしれませんが、そう観ることもまた間違いではないというか、一般的?な視点から見たらその方がわかりやすい解釈な気もします。 個人的には初見で感じたように、学生1への恋心を推したいですが笑。
 ともあれ、ロミオに対する親友マキューシオという役は物語の中だけでなく、学生3の実際の立場に近しいものがあったとおもいます。学生1に調子を合わせて寮を抜け出して朗読に参加しただけだった学生3。ロミオを焚きつけた結果、ジュリエットとの出会いに繋げてしまい、親友が自分から離れていってしまったマキューシオの気持ちを誰より理解していたのは学生3なのでしょう。
 それらをおもうと「どっちの家もくたばりやがれ」が最高の捨て台詞に聞こえてきます。

”学生2が目覚めたもの”

 物語冒頭の授業中のシーンで、男性と女性の社会的役割を読み上げたあとの深呼吸、学生2だけは自身の興奮を落ち着かせるというより、なにか感じた違和感を落ち着かせるように周囲を少し見ながら深呼吸をします。もしかするとこの時点で女性への変身願望が目覚めていたのかもしれないとおもいました。それが叶う朗読という行為に誰より熱中したのは当然のことだったのでしょう。
 時折入る学生4の茶化しに本気で苛立ったように怒っていた姿が、ロミオのことしか頭にない、自己中心的な恋愛に現を抜かしているジュリエットの姿と重なって表現されていましたが、実際誰よりも演技をすることで自分を満たしていたのが学生2だったのだとおもいます。
 また前回、キャピュレット卿による説教のシーンを、学生2を女性として見てしまったが故の蛮行と書きましたが、そうではなく、単純に圧倒的な格差を前にした時に目覚めた、抑圧された生活の中で抑え続けてきた暴力性によるものだったと改めたいとおもいます。
 とはいえ学生2への嫉妬というものもまちがいなく存在していて、学生3は学生1を独占されてしまった事への嫉妬があり、学生4は作品世界に没頭して「遊び」であることを忘れてしまった2人への苛立ちがあったことは間違いないとおもいます。
 ここで被害者役となった学生2が、それでも物語を自ら続けたのは、他3人への赦しをあらわしていると同時に、演じることの楽しみを知ってしまったが故に、続けたいという気持ちが勝ったものだとおもっています。

”学生4が大切にしたもの”

 前回は、エロスの愛の物語からアガペーの愛に目覚めた学生4という解釈でしたが、もっと幼い、4人で笑いあってるのが好きなだけの学生4かもしれないなとおもいました。そう思うと、乳母の大げさな演技も、他の3人を笑わせたい笑いあいたいという一心によるものと解釈することができます。
 バルコニーのシーンで、最初にロミオを止めに入ったのは学生4でした。当初はロミオとジュリエットの間にある社会的障害であったり、ロミオが不法侵入していることに気付いて追い出そうとしている使用人を表現してるのかとおもいましたが、止めに入っている時の表情の真剣さから、物語に没頭しはじめた2人に対して「行き過ぎ」「戻ってこい」という意志があることをかんじました。それに気付いた学生3が学生4に加勢して、2人を止めに入り、それを汲み取った学生1と2が急に演技をやめて、就寝する(内緒で2人だけでまた始めてしまうのですが)という流れなのだとおもいます。
 物語にも演技にも執着心を持っていないのは、学生4を演じている場面ではショッキングなシーン以外わりと退屈そうにただ座っていることからも想像に難くありません。
 いつでも笑いを忘れない、笑顔でいることが大好きな少年。アガペー的な人類愛に目覚めていなくても、この学生4がどこまでも「良い人」であることは間違いないです。

”学生1とラストシーン”

 物語に没頭した学生1と2ですが、学生1は物語そのものに、学生2はあくまで演技する楽しみに魅入られたという違いがあります。この違いが最後のシーンで学生1から学生3と4だけでなく、学生2が離れていった原因となっています。もっとも、ラストシーンで皆が学生1から離れてしまった一番の要因は物語が死で終わってしまうバッドエンドで、興醒めしてしまったからだとおもいますが。
 若者からもっとも遠く、それがゆえにもっとも恐れる「死」で終わるこの物語に、学生1はどうしようもない魅力を感じてしまっているのが、ラストシーンで原作本を抱きしめる姿からもわかります。
 序盤にキャピュレット夫人がジュリエットに結婚話をするシーンで、まだロミオがジュリエットと出会っていないはずなのに、学生1は居ても立ってもいられずに使用人の役として2人の間に割って入るという演技からも、学生1だけは最初からこの物語の結末まで全てを知っていたはずです。
 「死」への言葉にならない、憧れにも似た甘美な陶酔というのもまた若者ならではの想いではないでしょうか。穢れを知らず、また知りたくないからこそ清い死に甘い夢を見ることは大人になりたくないという気持ちそのものです。学生1は現実よりも物語にこそ自分の居場所を見つけたのだとおもいます。友人たちと同じ夢を見たかった、友人たちにも同じ夢を見てほしかった。そんな「夢を見た」のです。

”役者としての青木滉平くん”

 ジャニーズJr.としての青木くんを知っている人であれば、学生2の役を、ジュリエットの役を青木くんに嵌めたくなるとおもいます。けれどそうしなかったのは、彼が器用すぎるからなのかもしれません。
 このジュリエット、ロミオとの恋に溺れて感情のままに自己中心的な振る舞いに終始するという良くもわるくも、いや悪い部分だけを抽出したかのような「女性」です。青木くんが演じた場合、ここまで嫌なオンナになれたでしょうか。女性的な品のある所作が上手な青木くんであれば、もっと立ち回りが上手く、綺麗で清楚な印象のジュリエットになっていたような気がしますし、だからこそキャピュレット夫人が最適解であり、また同じ少年忍者のメンバーというポジションからも、拓実くん演じるロミオの親友マキューシオ役が適役だとかんじました。
 前回の観劇から一週間を経て、ロレンス修道士の演技がより落ち着いた人物としての演技に変わりました。当初はロミオとジュリエットに振り回されてしまい自身もまた慌てふためいてることを隠せないという、それこそ前回書いた手指のせわしない動きなどの演技がかなり抑えられていました。

”役者としての北川拓実くん”

 シェイクスピアの大仰で持って回ったような言葉たち。それを暗謡し読み上げるような感じから、学生1の中から言葉があふれてきているような感じへと変化していたのは本当に成長だとおもいます。
 彼自身が持つ透明感と声に対する自信から来る強さという話は前回書きましたが、これを最も感じさせてくれたのがラストシーン。去ろうとした3人をすがるように引き留める時の、情に訴えかけるような声のトーン。そして一度は戻ってきた3人が再び去り、彼らが座っていた方に向かって「夢をみた」と告げながら、友人たちとの別れという現実を受け入れながら彼なりの現実を獲得しようという間を感じました。そして最後に客席という虚空(自分自身あるいは未来)にむかって「夢を見た」とつぶやく時の、それまでよりほんの少しだけ湿度が下がった爽やかさを感じる声から、学生1が自身の世界を獲得したことを感じさせつつも、抑えきれないさみしさや不安から抱えていた原作本をわずかに抱き締めるという、複雑で繊細な演技が本当に圧巻でした。
 この舞台の最後の余韻を全てひとりで背負える強さ、観客の視線全てを集めきれる求心力はまさに主演をつとめるに相応しいものです。
 運命に翻弄されながらも強い力で抗おうとするロミオの姿も、透明感のある朗らかさと影さえ感じる繊細さを併せ持つ学生1の姿も、どちらも普段の拓実くんからは切り離された演技で、役者としての確かな才能を感じさせてくれました。

”最後に”

 この舞台は本当にいろんな解釈をすることができる作品だとおもいます。学生としてのセリフがほとんどなく誤読の自由が保障されていること、そして劇中劇の心象風景劇という三重構造から読み解く深さを変えることができること。解釈することが楽しい、すばらしい作品だとおもいます。
 まだ東京公演も残っていますし、豊橋公演も残っていますので、ぜひ一度観劇いただければ幸いです。

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