文字芸術の消失。
僕の好きな小説に『三体』というSF小説があるが、『三体』で描かれる近未来において、文学は既に芸術として失われていた。これは決してSF作品の中だけの話ではなく、近い将来、本当にそうなっていくのではないかと思わせてくれる。
文字とは便宜上、人類が情報交換を有利にするために発明した記号にすぎない。もし、直感的に映像や音声を画像を、相手にいとも容易く伝えることができるようになったら?もはや、文字によふ記号的なコミュニケーションは喪失する。
私たちが文字でコミュニケーションを取る時、話し手がまず自分が伝えたいことを言語化する。これを圧縮と呼ぼう。そして、圧縮した言語を相手に伝えた後、相手はその言語から相手が伝えたいことを汲み取る。これを解凍と呼ぼう。当たり前の話だがこのコミュニケーションにはそれぞれに圧縮と解凍という作業を必要とする。加えて、話し手が伝えたい趣旨が相手に100%伝わる保証もない。
もちろん、映像や音声で伝えたところで、そこには必ず文脈が介在し、話し手と受け取り手はそれぞれ解釈を必要とする。しかし、文字と比べて情報量が多いため、齟齬が生じる確率は圧倒的に少なくなる。
とはいえ、人間の思考体系は言語によって形成されている。そういう意味合いにおいては、言語がなくなることはないだろう。