ライトなノベルのライトな衰退

 今のライトノベルが何のために存在しているのか?それは、コミカライズするためであるところが大きい。コミカライズしなければ作品の認知度は広がらないし、アニメ化やゲーム化といったメディア化もできない。ライトノベルだけでなない、いわゆる新文芸やキャラクター小説、一部のエンタメ小説といった「ライトなノベル」もそれにあたる。

 そうなると、もはやノベライズに価値がなくなってしまう可能性があることが容易に想像できるだろう。つまり、小説家はいきなり漫画原作者としてコミカライズに携わってくる可能性が出てくるのである。

 小説そのものに全く需要がなくなるということはないだろう。しかし、その需要は非常にニッチなものになり、あらゆる文芸がメディア化前提のものになるに違いない。

 今はまだ売れているコミカライズも、いずれアニメーションの制作スピードがAIによって上昇すれば、無用の長物になってしまう。紙や活字に親しみ深い私たちには想像し難い話ではあるが。

 KADOKAWAが大手出版社の仲間入りができた一つの要因として、小説と実写映画のメディアミックスが挙げられる。そして、今、漫画とアニメーションのメディアミックスが業界を席巻している。しかし、小説×実写映画のビジネスモデルが衰退したように、漫画×アニメーションのビジネスモデルもいずれは限界を迎えるのではないか。
 新しいスキームが必要だ。単純にコンテンツをリッチ化するのではなく、コンテンツを相互的なコミュニティを繋ぐものとして位置付けプラットフォームを形成するスキームが。

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